人材育成コラム

“人財”育成のツボ

2018/5/21 (連載 第108回)

こんな企業理念、すてきですね!

ITスキル研究フォーラム 人財育成コンサルタント / PSマネジメントコンサルティング 代表

安藤 良治

 平成28年伊勢志摩サミットワーキングディナー
 平成20年北海道洞爺湖サミット晩餐会
 そして、迎賓館(赤坂離宮)、京都迎賓館、帝国ホテル、箱根富士屋ホテル
 国賓をおもてなしする場においてよく使用される洋食器(陶磁器)は、どちらのものでしょうか?

 陶磁器といえば、日本では400年ほど前に肥前(現在の佐賀県)有田で初めて焼かれた伊万里焼、九谷村(現在の石川県加賀町)の九谷焼が有名です。
 しかし、上述の場で使用された洋食器(陶磁器)はそのどちらでもなく、現在は横浜市戸塚区に本社工場を持つ「大倉陶園」製の洋食器が用いられています。
 大倉陶園は、1919年の設立ですから、来年創業100年を迎えます。洋食器メーカーとしては後発の会社ですが、なぜ国賓をもてなす洋食器に大倉陶園製が多いのでしょうか?

 今年の3月、知人の社長就任祝いに何かを贈りたいと、いろいろ調べているうちに「大倉陶園」に大変興味を持ち、先月本社工場の見学会にも参加してきました。
 場所は、正月恒例の箱根駅伝の2区、ここは華のエース区間、権太坂と最後の上りが選手を苦しめるコースでもあります。その権太坂と戸塚中継所の間にある秋葉町の柏川沿いに大倉陶園の本社工場があります。
 創業時は、蒲田が本社工場でしたが昭和20年に空襲により焼失し、昭和35年に現在の場所に移転しています。

 工場に着くと、年代を感じる古い工場で外見からは趣を感じません。正直少しがっかりしましたが、辺りを見渡すとツツジが満開で丁寧に手入れされた敷地には清潔さと無駄のない簡素なイメージを抱きました。
 案内された会場で待っていると、コーヒーがもてなされ、15人の見学者おのおのに異なる大倉陶園のコーヒーカップが会場に並びました。
◯ブルーローズ
大倉陶園の伝統技法・岡染めを用いたシリーズ
2輪のバラのパターンは1928年以来継承されてきたデザイン

◯ゴールドラインリムシェープ
金線が白磁の美しさを最大限に引き立てる大倉陶園を代表するシリーズ

◯メイグリーン
萌え出ずる若葉の色を漆蒔で表現、金盛りの縁飾りが陽光のようにきらめく

◯エンプレスミチコ
皇室にまつわる高貴なバラをイメージしたシリーズ

〇朧桜(おぼろさくら)
岡染めの技法で月明かりに浮かぶ夜桜を描く
 工場の外見とは裏腹に皇室御用達、国賓をおもてなしする洋食器が並べられ、会場内は一気に華やぎます。

 工場見学では、最初に大倉陶園の歴史が紹介されました。
 創業者は、父子二代の創業者として父 大倉孫兵衛、その子 大倉和親の二人が紹介されます。
 大倉陶園は、現在も森村グループに属し、そのグループには、ノリタケカンパニーリミテド、TOTO株式会社、日本ガイシ株式会社などがあり、日本の製陶業を代表する一大グループです。
 森村グループの創業者 森村市左衛門と大倉孫兵衛が出合い、1876年に森村組を設立するときに、孫兵衛は自身の書店を経営する傍ら、森村組の輸出商品の仕入れを担うことになります。
 ノリタケを代表する「オールドノリタケ」は、初期の段階で孫兵衛が製造責任者として携わっていました。
 孫兵衛の長男和親は、1894年に森村組に入社します。翌年渡米してビジネスカレッジに入学し、卒業後は森村組のNY店に勤務しました。

 陶磁器の歴史は、ヨーロッパよりも日本の方が古いわけですが、洋食器に求められる要素、そしてその需要を満たすための工夫は、ヨーロッパから学ばなければなりません。洋食器に求められる代表例が「白さ」であり、日本の原料や窯業技術では、求められるレベルに到達していない現状がありました。そこで孫兵衛とその一行はヨーロッパを視察し、原料も含めて改良し、白色磁器の焼成に成功 します。
 陶磁器は食器だけではなく、当時は輸入にたよっていた衛生陶器(浴槽、洗面台、便器など)や高圧碍子(電線の架設に必要な磁器製の部品)類があります。森村組ではこれらの国産化を目指して、それぞれの会社を設立することにしました。1904年日本陶器(現ノリタケカンパニーリミテド)、1917年東洋陶器株式会社(現TOTO株式会社)、1919年日本碍子株式会社(現日本ガイシ株式会社)をそ れぞれ設立しています。いずれの会社も初代社長には大倉和親が就任しています。

 日本の製陶事業に大きく貢献した大倉親子ですが、「良いものを作りたい」その思いが大倉陶園の設立へと向かいます。
 大倉陶園のホームページで確認すると「企業理念」として大倉孫兵衛が手記として1917年に残した設立趣旨が書かれています。
» http://www.okuratouen.co.jp/
良きが上にも良き物を

美術陶器工場

 是は利益を期して工場を起こす事出来ず。寧ろ道楽仕事につき一人の独業として他に迷惑を掛けぬ趣向でなければ思うような道楽はできぬ。依て他に関係なく独立にて作るを良とするものなり。全く商売以外の道楽仕事として、良きが上にも良き物を作りて、英国の骨粉焼、仏国の「セーブル」、伊国の「ジノリ―」以上の物を作り出し度し。利益を思ふてはとても此事は出来ぬ故、全く大倉の道楽 として此上なき美術品を作り度し。既に蒲田に一萬三千坪余りの地を買入れたるにつき、此地に工場と共に別荘の如き見本場を作り、花壇も作り、工場からして美術の工合に作り度き事、此事は萬事和親に任せ、日野氏茲に来つて図案設計を始める。

大正7年7月18日 大倉孫兵衛 手記 時年76
 美術品として最高の物を作るための会社とする。これは道楽だと自ら言っています。工場を見学して納得しました。

 一番のこだわりは焼成温度です。焼成温度は、高ければ高いほど磁器は硬くなり、薄くても割れにくいものとなります。しかしながら、高い温度にするためには燃料代がそれだけかかり、その温度に耐えられる設備も必要となります。一般的には800度から1300度の焼成温度で焼成されるようですが、大倉陶園では創業以来1460度という他に例を見ない高温で焼成しています。これは創業当時にフランスのリモージュを見学した際に適用していた温度(現在はもっと低い)だそうです。
 手書きへのこだわりもあります。エンボス加工は、金属製のローラーで模様を刻むものです。刻む深さ、間隔、まさに職人技そのものであり、大倉陶園に伝わる貴重な技能遺産です。
 絵付けをする際には、色の上書きもあり、何度も何度も絵付けの度に焼くことになります。とても手間暇をかけ、美術品をつくり上げていく工程を拝見しました。
 見学の最後に拝見した場所が展示場、皇室にお納めした食器、サミットで使用された食器、そして来年創立100周年を迎える記念作品として「百花譜」も展示されていました。5セット限定で6人そろいのディナーセット価格1,000万円とのこと。
 説明を聞き、その工程のこだわりを考えれば、「なるほど」と。

 これだけのこだわりの会社を維持することは大変なことだと思います。皇室に認められ、国賓をお迎えする際の定番としての地位を確立されたからできているのだと思います。
 ITの世界ではどうでしょうか。世界最高水準の技術レベルで発信できるこだわりのある会社、大倉孫兵衛のような思いと実行できる人が今求められているような気がします。


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