人材育成コラム

“人財”育成のツボ

2011/01/17  (連載 第20回)

「とく」を得る

ITスキル研究フォーラム 人財育成コンサルタント / PSマネジメントコンサルティング 代表

安藤 良治

 2011年の幕が開けました。今年も皆様どうぞよろしくお願いいたします。
 年末号で昨年を振り返り、「還」の文字から「原点に還る」ことをお伝えしま した。それでは、日本人の持つ「原点」とは何でしょうか?
 「日本精神」や「武士道」として語り継がれてきた私たちの持つDNAについ て、今一度確認してみたいと思います。そこで、八田與一(はったよいち)氏の 台湾における農業水利事業の功績を確認しながら、この課題を追ってみたいと思 います。


今なお愛され続ける八田氏

 八田氏は、1886年石川県に生まれ東京帝国大学工学部土木科を卒業後、ま だ日本の統治下にあった台湾総督府内務局土木科の技手として就職しました。台 湾南部の嘉南平野の調査を行った八田氏は、15万ヘクタールもある田畑が灌漑 (かんがい)設備が不十分なために不毛な地となっていることを確認しました。

 そこで彼は、32歳の若さで当時世界最大規模の烏山頭ダムの建設計画を上司 に提出し、2年後に国会の承認を受け10年間の年月を掛けてダムを完成させま した。1930年に完成したこのダムの湛水(たんすい)面積は1300ha、 1963年完成の黒部ダムの湛水面積が350haですから、その規模の大きさ が分かります。

 八田氏は56歳で生涯を終えますが、その大半を台湾で過ごし、台湾の発展の ために貢献しました。1931年に作られた彼の銅像は、中華民国の蒋介石時代 に日本の建造物や顕彰碑の破壊がなされる中で、地元の有志によって隠されまし た。そして1981年、再びダムを見下ろす元の場所に設置されたのです。また 彼の命日5月8日には、現在でも烏山頭ダムで慰霊祭が行われているほど台湾の 人々から愛されています。

 なぜ、それほどまでに愛され続けるのでしょう。彼の功績は、元台湾総統の李 登輝氏の著書「『武士道』解題」(小学館文庫)に詳しく書かれています。
 「八田與一があの若さでこの偉大な仕事を通じて台湾に残したものが三つあると 思います。ひとつは嘉南大しゅう(嘉南平野全体の水利設備全体の総称)。二つ 目は八田氏の独創的な物事に対する考え方。三つ目は八田氏の生き方や思想」


八田氏の功績や考え方を振り返る

 以下、これらの功績を著書を一部引用しながら紹介します。
 嘉南大しゅうの成果は、
(1)農民が被る洪水、干ばつ、塩害の三重苦が解消したこと
(2)三年輪作給水法によって全農民の稲作技術が向上したこと
(3)買い手のない不毛の大地が給水によって地価が2倍、3倍の上昇を招き、当時の工事費を上回る価値を生みだしたこと
(4)農民の生活はこれによって一変し、新しい家の増築や子供の教育費に回す余裕ができたと

があげられます。

 八田氏の独創的なものの考え方としては、
(1)東洋では誰も手がけたことがない新しい工法を適用したこと。実績のあるアメリカでさえもこのような規模での適用経験はなく、徹底的な机上の研究とアメリカ視察により確信を持って工事にとりかかった
(2)大型土木機械の採用。当時は労働力のあまっている時代であり、大型機械の採用は組合や請負業者から反対される中、工事の遅れは不毛地帯の土地のまま眠ることであり、工期が短縮できればそれだけ早く金を生むとして反対を押し切った
(3)烏山頭職員宿舎の建設。職員用宿舎200戸の住宅に加え、病院、学校、大浴場を造るとともに、娯楽設備も建設して町づくりを行った。工事は人間が行うのであり、その人間を大切にすることが工事も成功させるという思想
(4)三年輪作給水法の導入。当時世界最大規模とはいえ、15万ヘクタールのすべての土地に給水することは物理的に不可能だった。ならば給水面積を縮小せざるを得ないと考えるのが普通だが、八田氏は土木工事の技術者はダムや水路を造りさえすれば、それで終わりとはしなかった。15万ヘクタールの土地に住むすべての農民が、水の恩恵を受ける必要がある。そのためには、水稲(給水)、甘蔗(種植期だけ給水)、雑穀(給水なし)という形で、一年ごとに順次栽培する方法をとった

 八田氏の生き方や思想(著書原文を引用)

「八田氏夫妻が今でも台湾の人々によって尊敬され、大事にされる理由に、義を 重んじ、誠をもって率先垂範、実行躬行(きゅうこう)する日本的精神が脈々と 存在しているからです。日本精神の良さは口先だけじゃなく実際に行う、真心を もって行うというところにあるのだ、ということを忘れてはなりません」


八田氏の行動から何を学ぶか

 人は誰でも人生の中で「とく」を得たいと願っています。どんな「とく」を求 めるか。損得の「得」つまり利益の追求か、「徳」つまり人間としての徳を求め るのかで、随分違った人生を歩むことになります。

 八田氏の生き方は、人間としての「徳」を得た人生といえましょう。

 明治の時代から昭和の初期に活躍した日本人の求めていた「とく」は、「徳」 だったのではないでしょうか。新渡戸稲造が英語で出版した「武士道」はその 「徳」を求める日本精神を世界に紹介したものであります。李登輝氏のみならず 当時の米国大統領ルーズベルトも徹夜で読破し、感動で世界中の要人に「ぜひ一 読することをすすめる」との献辞とともに送ったといわれています。

 時代が変わり、戦後復興から勤勉に働いた日本人は、高度成長期を迎え「得」 を手にするようになりました。物が不足していた時代では、「良いものを、早く そして安く作る」日本は賞賛され、「得」とともに「徳」も得ていたように思い ます。1979年には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が、社会学者ヴォーゲ ルによって出版され、世界が日本から学ぼうという時代がやってきました。

 しかし、もの余りの時代を迎えると「供給過剰」の経済の中で競争社会が顕在 し、少しでも「得」を得ようと国対国、企業対企業の競争が熾烈になりました。 正に一方が「得」すれば、他方が「損」する「損得」の競争社会になりました。 その競争原理は、企業の中にも適用され、部門間の競争から個人間の競争にまで 発展してきました。

 行き過ぎた目標管理の見直し作業に入った企業は、個人の「損得」を求める制 度でなく、本来の人間としての成長「徳」を求める制度にしたいとの考えからで しょう。近年、「徳」を求めたいとする人が増えてきたように思います。積極的 にボランティア活動に参加したり、ビルの周りを早朝に清掃する社員の姿が増え てきたのもその表れのように感じます。


「3人のレンガ職人」を思い出して

 八田氏は、単なるダム作りの技術者としてでなく、農業全体を潤す町づくりを 行いました。

 八田氏の功績から、ある寓話を思い出します。「3人のレンガ職人」です。

 一人の職人に、何をしているのか尋ねました。すると「見ればわかるでしょう レンガを積んでいるんですよ。こんな仕事はもうこりごりだ」と怒った口調で答 えました。次の職人に同じことを尋ねると「レンガを積んで壁を作っています。 この仕事は大変ですが、賃金が良いのでここで働いています」と答えました。3 人目の職人にも同じことを尋ねると、彼はこう答えました。「私は修道院を造る ためにレンガを積んでいます。この修道院は多くの信者の心のよりどころとなる でしょう。私はこの仕事に就けて幸せです」

 読者の皆さんは、IT業界に身を投じておられる方かと思います。IT こそ、自分が関わっている全体を知ることで、その意義を感じ、やりがいを感じ られる仕事ではないでしょうか。

 2011年は一人ひとりが「徳」を求め、意義深い私たちの仕事を理解し、世 の中に貢献していきたいものです。皆様にとって実りある良い年となることをお 祈りいたします。


この記事へのご意見・ご感想や、筆者へのメッセージをお寄せください(こちら ⇒ 送信フォーム