人材育成コラム

“人財”育成のツボ

2013/03/18  (連載 第46回)

マズローの欲求5段階説をさかさまにして見る

ITスキル研究フォーラム 人財育成コンサルタント / PSマネジメントコンサルティング 代表

安藤 良治

 昨年iPS細胞の研究でノーベル生理学・医学賞を受賞した山中教授は、授賞式後のインタビュー、
「賞状やメダルは展示はしません。大切な所に保管しておきます。もう、見ることはないと思います。また一科学者として自分がやるべきことを粛々とやっていきたいと思います」
と述べました。
 一つの頂点に立ったことで、区切りをつけるどころか、これまでの研究を加速させ、「病床にある重症の患者さんたちを一日も早く救えるよう、研究に精進したい」との決意を表明されました。山中教授のエネルギーの源泉が、患者さんた ちを救うことにあり、ノーベル賞もその活動の中での副次的産物のようです。ご本人にとっては副次的産物とは言え、それが契機となって研究を加速させることにつながっていることは、とても喜ばしいことではあるでしょう。
 山中教授に関する記事やニュースを拝見するたびに、個人的な欲というものが見えず、感心させられます。「患者さんを助けるiPS細胞の研究」--そのことの実現こそが、人生の目標であり、目的のように思われます。

 山中教授の欲求レベルは、マズローの欲求レベルで言うと最高位の「自己実現欲求」に根差した活動をされているようです。では、山中教授はそれよりも低次の欲求が満たされていたのでしょうか。たとえば、趣味と思えるマラソンに目を 向けてみましょう。研究資金集めに苦労する中で、寄付を募るために走ったなどの報道を見ると、マラソンは研究チーム存続のための活動となっていたようです。この例を鑑みるに、いろんな欲求が満たされていたから自己実現を目指したとは言えないようです。
 マズローの欲求5段階説とは、「人間の欲求は、5段階のピラミッドのように構成されていて、低次の欲求が満たされると、より高次の欲求を欲する」という理論です。私は、若いときにこのマズローの欲求5段階説を知った時に、思わず「なるほど!」と共感しました。
 食べることもままならない状況では、まずは「食うため」の欲求を満たす努力をします。どんな仕事が良いか、合っているかなどと職業を選択する余裕もなく、ただ生理的欲求を満たすために働きます。これが安定的に生理的欲求が満たされるようになると、同じするなら危険の少ない安全な仕事、そして安定した仕事に就きたいと考えるようになるのも自然な思いです。この段階から、職業を選択するという行為が始まります。
 安全欲求が満たされてくると、社会的欲求(集団に属したり、仲間を得る)が芽生えます。自分の好みや価値観を踏まえ、どんな仕事をするか、どんな組織・仲間と活動するかを考え行動する段階です。そして次の段階では、その集団の中で認められたいとする尊厳欲求が生じます。
 これらの欲求を満たした上で、最高位にある欲求として「自己実現欲求」があるとするのがマズローの欲求5段階説です。
 この欲求段階説を知った際、自分に当てはめて、自分は今どの段階の欲求レベルなんだろうと考えたりしたものでした。振り返ると、まだ低次の欲求レベルでしか満たされていない自分の状況にもかかわらず、同時に「自己実現したい」と思う自分が存在していたことも事実だったように思います。
 山中教授ほどの強い自己実現欲求ではなかったものの、少なからず自分にも低次の欲求レベルにいる段階から自己実現欲求はありました。当時は、このことの矛盾に特に違和感は感じていませんでした。
 マズローの欲求5段階説
            
           /\
          /  \
         自己実現欲求
        / 尊厳欲求 \
       /  社会的欲求 \
      /   安全欲求   \
     /    生理的欲求   \
     --------------
 先月も紹介した「コトラーのマーケティング3.0」の中でマズローに関する以下の文を見つけました。
 ダナー・ゾーハーによれば、創造性は人間を地球上の他の生物と分かつものである。創造性を持つ人間は自分たちの世界を形づくる。クリエイティブな人は自分自身と自分たちの世界を向上させるために絶えず努力する。創造性は人間性や道徳性や精神性の中に表れる。

(中略)

 欲求の階層を図示した有名なマズローのピラミッドを考えてみよう。アブラハム・マズローは、人間には生存(基本的ニーズ)、安全と安心、社会への帰属、承認(自尊心)、自己実現(意味)という5段階の欲求があることを明らかにした。また、高位の欲求は低位の欲求が満たされて、初めて満たすことができると主張した。この欲求のピラミッドは資本主義のルーツになった。だが、ゾーハーが「精神的資本」で明らかにしているところによると、自身もクリエイティブな人間だったマズローは、晩年は昔の説を後悔し、あのピラミッドは逆さまにするべきだったと思っていたという。逆さまにしたら自己実現が最底辺に置かれ、すべての人間の最も重要な欲求ということになる。

 クリエイティブな人びとは実際に、逆さまにしたマズローのピラミッドが正しいと強く信じている。「人間の非物質的側面や永続的な現実を暗示するものを重んじること」というスピリチュアリティ(精神性)の定義は、創造的社会においてこそ本当に意味を持つ。科学者やアーティストは、往々にして物質的充足を捨てて自己実現を追求し、お金で買えるものを超越した何かを手に入れようとする。それは、意味や幸福や悟りであったりする。物質的充足はたいてい最後にくるもので、自分が達成した成果に対する見返りである。
 コトラーは、マーケティング3.0の中でマズローの欲求段階説を逆説的に取り上げたのでしょう? 
 人類の進化を、まず狩猟民、農民、ブルーカラー労働者など肉体を使う仕事から始まって、その後左脳を使うホワイトカラー労働者や企業幹部に進み、最終的に右脳を使うアーティストに至るとする説。コトラーはこの説を引用して、既に右脳を使うクリエイティブな人たちが中心となり、創造的社会の時代を構築し始めたと定義しています。
「創造的社会の時代においては、人間のニーズや欲求に対する見方を変化させ、生存欲求よりも精神的欲求が高まり、消費者は自分たちのニーズを満たす製品やサービスだけでなく、自分たちの精神を感動させる経験やビジネスモデルも求めるようになる」
 そのような創造的社会に応じたマーケティングアプローチが、マーケティング3.0ということのようです。


 リナックスのように人々が協働して開発したOS、ウィキペディアのように読者が参加して生み出していく辞書、これらの活動は従来の工業化社会とは異なる動きとして注目される出来事です。
 何故、リナックスやウィキペディアに人々は参加するのでしょう?
 参加の動機に、生理的欲求や安全欲求は含まれません。参加したいという社会的欲求からか、認められたいとする尊厳欲求からか、「自ら成し遂げたい」との自己実現欲求からか…。いずれにしても、金銭的な損得の計算の働かない人々の行動が社会を動かす大きな力として存在するようになりました。フェイスブックやツィッター、ユーチューブといったソーシャルメディアが、一層参加型の社会を築いていくことになるでしょう。
 コトラーの言うように、「自己実現欲求が最初にあり、物質的充足は後からついてくる」とすれば、リナックスやウィキペディアに参加する人たちの行動心理に納得がいきます。同様に、山中教授の研究も自己実現欲求がベースとなっていて、ノーベル賞や幾多の賞はあとからついてきたものと言えます。
 3月10日の朝日新聞に
「(限界にっぽん)技術革新、リスク取れず、苦境の電機、プレステ生みの親に聞く」 という記事が出ていました。この記事の中で、プレステの生みの親である久多良木氏は次のことを述べています。
――社内で芽をつぶしてしまう?

 研究開発している人間は5年先、10年先を見ようとするものだが、会社は春モデルと秋モデルとか、目先のことしか見ようとしない。長期のロードマップ(工程表)を考えられる人、大きな流れを見通すことができる人が少ない。そこがアップル創業者のスティーブ・ジョブズ氏やアマゾン創業者のジェフ・ベゾス氏との大きな違いだ。

――なるほど。

 それと、決めた通りでないと困るという人がたくさんいて。柔軟性や多様性に欠けるきらいがある。

――調和を乱す者を排除し、出る杭は打たれる?

 出る杭の扱いに困る。戦後経済を支えた自動車や電機産業は、大量生産・大量販売モデル。すると複数の人が同じことをするのを貴び、他人と違う人間は困る。

 これからの世の中は、ソーシャルメディアの台頭によりますます参加型の仕組みができ、そしてその仕組みが社会を大きく変えていくことになると思います。
 今は、まだ「自己実現欲求が最初にある人」は少数のクリエイティブな人に限られるのかもしれません。しかし、そうしたクリエイティブな人たちが新しい社会を形づくっていくのだとすれば、マズローの欲求5段階説をさかさまにしてみるような発想で、社員の育成や評価制度を見直していかないのかもしれません。
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