人材育成コラム

“人財”育成のツボ

2013/10/17  (連載 第53回)

おみくじは“凶”がいい?

ITスキル研究フォーラム 人財育成コンサルタント / PSマネジメントコンサルティング 代表

安藤 良治

 先月、兵庫県宝塚市にある清荒神清澄寺を参拝しました。信心深い私の母が、半世紀近く月参りを欠かさず参詣している、我が家にとっては縁のあるお寺です。私も関西方面での仕事があると時間を見つけては参拝しているので、年3、4回は参詣しています。
 清澄寺の山門には、「一旦山門をくぐれば俗界の煩悩も打ち消され、清浄な気持ちになり身も心も洗われる」という意味の「せん蔔林中不嗅餘香(せんぷくりんちゅう よこうをかがず)」の扁額(へんがく)が掲げられています。信仰心が弱く、煩悩に満ちた日々を過ごしている私ですが、この山門をくぐると何か身の引き締まった気持ちになるのは、この額の効用かもしれません。

 参拝した際には、必ずおみくじを引くことにしています。新しく手にしたおみくじは財布にしまい、それまでのおみくじをみくじ掛に結びます。財布にしまったおみくじは私のお守りの一つとして次の参拝まで大事に持ち歩きます。
 先月の前に参拝したのは今年の5月でした。その折に引いたおみくじは“凶”。5月は、母の入院、そして手術。私自身も、仕事が思うように進んでいなかったので、
 「仕方ない。この“凶”を一つの戒めとして、前を向いて頑張ろう」
と受け止め、そのおみくじを財布にしまっていました。
 その後、母の手術は成功し、少しずつ元気になっていくとともに、私の仕事の方も復調し、忙しくなってきました。このお守りの効果が出ていたのかもしれません。

 そして、先月の参拝の折にもおみくじを引きました。いろんなことが好転しはじめていたので、当然のように“吉”を期待していたのですが、またもや今回も“凶”。それも、前回以上に悪い内容がしたためられていました。
 正直「なんで?」
 大変なショックを覚えました。数年に一度“凶”を引いた記憶はあったものの2回連続で“凶”を引いた記憶はありません。
 おみくじとは、これからのことを占うものですから、「思い当たる節」を探す様なものではありません。でも、その思い当たる節を一生懸命に考えてしまうのが、思い通りにことが進まなかったときにとる行動のようです。

 今回の“凶”の理由を自分なりに考えました。
「物事が好転しはじめていた。調子が良くなってくると煩悩に満ちた私の性格故、他人への感謝とか、謙虚さが薄れ、慢心が芽生えてくる。これまでにも、慢心が災いを呼び、大事なものを失ったことがあるではないか。今回のおみくじが期待した通り“吉”とでれば、感謝ではなく、『当然の結果』のように思ったことだろう。慢心が生まれつつあることを戒める意味で、今回の“凶”がある」
 何だか変な理屈かもしれませんが、今回のおみくじは私を自制するための警告だったと受け止め、今も財布の中にあります。お守りとして。

 そんなお守りを財布にしまい、先日JR根岸線に乗っていると、ジェームズ・アレンの著書『「原因」と「結果」の法則』の広告が出ていました。編集担当者の一言に、
「この、わずか80ページほどのなかには、壮大な宇宙が広がっています。一読者として、何度心を震わせながら読んだことでしょう。読めば読むほど、毎回違った発見のある珍しい本です。こんな一冊との出合いは、そうめったにあるものではありません。嬉しいとき、哀しいとき、考えたいとき……いつでもそっと開いてみてください」
 「確か10年ほど前に古本屋で買った記憶がある。本がまだあったかな。読み返してみるか」--家に戻り、書棚を探すと奥の方から出てきました。さっそく、読み返してみました。

 たしかに編集担当者のコメントの通り、読むときの気持ちで、この本が自分自身に訴えかけてくるメッセージが変わってくるように感じます。一部を引用しながら、感じたことを書いてみます。
「私たちの環境を創っているのは、私たち自身である」ということに加えて、「私たちは、良い結果に狙いを定めながらも、その結果と調和しない思いをめぐらすことによって、その達成をみずから妨害しつづける傾向にある」
 私たちは良い結果を求め、そこに狙いを定めて頑張っています。しかしながら、その一方で打算や余計なことを思い巡らせる自分も存在します。純粋に目標に向かって進めるときには、結果がついてくるのに、打算や邪念がその成功を邪魔することは何度も経験しました。その通りだと思います。
「人間は、けがれた思いをめぐらしつづけているかぎり、けがれた血液を手にしつづけることになります。きれいな心からは、きれいな人生ときれいな肉体が創られ、けがれた心からは、けがれた人生とけがれた肉体が創られます。わたしたちが思うことは、私たちの行い、肉体、環境および、私たちが手にするあらゆる体験の源です。その源をきれいにしたならば、すべてのものがきれいになります」
 そうなんだろうと思います。きれいな心から、きれいな人生ときれいな肉体を手に入れたいといつも願ってはいます。しかしながら、人間の持つ“煩悩”というものが、“きれいな心”を妨害しつづけます。心の弱さとの葛藤の中で“良い結果”を得たいと願う自分がいます。
「人間は、穏やかになればなるほど、より大きな成功、より大きな影響力、より大きな権威を手にできます。ごく一般の商人でさえ、より確かな自己コントロール能力と穏やかさを身につけることで、より大きな繁栄を果たせるようになります。なぜならば、人々はつねに、冷静で穏やかにふるまう人間との関わりを好むものだからです」
 確かに私も「冷静で穏やかにふるまう人間」との関わりを好みます。私自身はというと、おみくじを引いてその結果に一喜一憂しているわけですから、とても穏やかな域には到達できていません。

 今回のおみくじが“吉”であったなら、このような自省につながる思いは芽生えなかったことでしょう。
 「周りへの感謝とか、謙虚な心を持って、穏やかな心を目指そう」
 この思いにつながった点では、“凶”というおみくじも悪くはない、とも思えます。
 でも、次回のおみくじは“吉”であってほしい・・・。

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