人材育成コラム

“人財”育成のツボ

2015/05/19  (連載 第72回)

ラストマンになる

ITスキル研究フォーラム 人財育成コンサルタント / PSマネジメントコンサルティング 代表

安藤 良治

 日立製作所が7873億円の巨額赤字を出した2009年、69歳という高齢にもかかわらず執行役会長兼社長に就任され、日立再生の陣頭指揮をとられた川村隆さんが、次代を担う人たちに綴った著書が「ザ・ラストマン」(角間書店刊)です。書名の由来は、川村さんが30代の時、当時の工場長から聞いた次の一言がご自身の意識を変えてくれた言葉だと紹介しています。
「この工場が沈むときが来たら、君たちは先に船を降りろ。それを見届けてから、オレはこの窓を蹴破って飛び降りる。それがラストマンだ」
 この文を読んだとき真っ先に思い浮かべたのは、300人近くの犠牲者を出した昨年4月の韓国セウォル号の転覆事故の船長の行動です。「もし、船長がラストマンの意識があったなら、どんなに被害が小さくなったことだろう」と。

 困難な状況に直面したときに「責任者としてどのように行動するか」。
 残念なことに、セウォル号の船長に限らず、責任を回避しようとその場を逃げ出そうとするリーダーがいます。普段の威厳のある姿からは想像できないほど、困難な状況に直面して狼狽え、責任回避、責任転嫁、とにかく保身のために動き出すリーダー、そんな姿は誰も見たくありません。きっと、本人もそんな姿を見せたくはない。でも、直面した際に取る行動、それがその人の器なのかもしれません。
 一方で、普段は物静かな行動をとっている人が、「いざ」という事態が起きた時、周囲も驚くような行動、頼りになるリーダーシップを発揮する人もいます。リーダーの言動が、不安や戸惑いで混乱していたメンバーの自信を取り戻し、リーダーのもと結束し、見違えるような行動をとれるようになる。
 笑顔を取り戻し、職場の活力が湧いてくる。「そんなリーダーの下で働きたい」と思うものです。そして、いつかは自分もそのようなリーダーになりたいと思っている人も多いことでしょう。

 それにしても69歳という年齢で、周囲を見渡せばほとんど現役を退いている状況で、「ラストマンになる」という意識が持てるものでしょうか。もし、持てるとするならば、定年なんて制度は「ラストマンとして活躍できる人材」を損失しているということになります。
 日立の再生は、年齢という概念を度外視して、「ラストマン」を任命した歴史的な出来事だったように思えます。
 さて、本書から3つのことを抜粋してご紹介したいと思います。
「ラストマンをお引き受けした経緯」
 一つの会社を緊急時の飛行機にたとえれば、ラストマンになる人が必ず一人は必要です。とはいえ、その一人になる覚悟はなかなか持てるものではありません。
 2009年、3月。一本の電話がかかってきたときもそうです。
 「指名委員会は、川村さんを次期社長に指名したいと考えている。日立製作所に戻ってきてくれないか」
 日立製作所の庄山悦彦会長(当時)からそう言われたとき、私は息をのみ、しばし受話器を握りしめました。まさに青天の霹靂で、予想だにしていなかったことでした。
 その年の1月30日に、日立製作所は3月期の連結決算で従来予想の150億円の黒字から、最終損益が7000億円の赤字になると発表しました。その数日後、日立株は売り注文が殺到して一時は取引価格がつかないほどの大混乱に陥ったのです。あちこちで『倒産か?』などとささやかれはじめてもいました。そのようななかでの電話です。
 当時の私は69歳で、日立製作所の子会社である日立マクセルの会長を務めていました。古希を迎える年になり、そろそろ引退を意識し始めたところでもあります。
       (中略)
 私はあまり物事に動じない性格であり、周りからもそう思われています。そんな私でも、この要請には動揺し、心が乱れました。すぐには決断できず、同期入社で既に退職している友人たちに、電話をかけて相談してみました。どの友人も電話の向こうで、言葉をなくしていました。
 「この間の報道だと、最終赤字は7000億円という話だろ?今戻ったら大変じゃないか」
 「晩節を汚すから、やめたほうがいい」
 みな私を心配して、口々に反対しました。どれももっともな意見ばかりです。
 69歳で日立本体の新社長をやるのは、いくらなんでも無理がある。体力的にきついし、気力を保つ自信はない。社外からも「なぜ、若手を選ばないんだ」と非難されるだろう。赤字の企業を立て直すには、もっと若いリーダーのほうがふさわしいのではないか----私の心は、だんだん断るほうに傾きはじめました。
 ここまでの経緯から、凡人であれば「今回のお話し、大変名誉なことではありますがご辞退します」と回答することでしょう。しかし、現実には悩んだ末に川村さんは、
「沈みかけている日立製作所に戻り、再浮上させよう。それがザ・ラストマンとして最後にできることだと決意を固めました。」
と、引き受けることを決意されました。
 30代の時に当時の工場長から教えられた「ラストマン」の意識が、加えて川村さんがそれまでに経験されたことが「引き受ける」方向に導いていたことを綴っています。
 本書は、日立再生につなげた実際の出来事を紹介しながら、川村さんの「経営哲学」、「仕事への向き合い方」を綴っています。日立再生の道につなげた軌跡を書かれているので説得力があります。
「ラストマン・プロセス」
 自分で言うのもなんですが、私はいわゆるカリスマ性のあるリーダーではありません。「おれについてこい!」とぐいぐい引っ張っていくタイプでもありません。
 そんな私でも日立の改革の牽引役を担えたのは、「意思決定したことを、実行できた」という、ごく当たり前の理由からでしょう。
 そして。それを実現させたのはとてもシンプルな5つのプロセスです。
    ①現状を分析する
    ②未来を予測する
    ③戦略を描く
    ④説明責任を果たす
    ⑤断固、実行する
  (中略)
 「誰でも思いつく当たり前の方法ばかりだ」と思う人もいるかもしれません。しかし、どのようなこともそうですが、「簡単そうなこと」が「とても難しい」ものです。考えるのは簡単でも、実現するのは難しい。ビジネスの現場にいると、日々それを実感します。
 ⑤の「断固、実行する」がラストマンの真骨頂なのでしょう。正に「言うは易し、行うは難し」、でも「やりきる」ことの重要性は、苦労した人ほどその意味が良く分かります。
「評論家は永久にラストマンになれない」
 ラストマンは最後に責任を引き受ける人物ですから、どんな結果になったとしても最後まで物事に関わり続けることが最低限必要です。
 一方、その資質がない人物には、三つのタイプがあると思います。
  ①最初から関わらずに逃げる人
  ②一度は引き受けたのに途中で投げ出す人
  ③自分ではできないのに口だけ出す評論家タイプの人
   (中略)
 いくら専門的な知識があり、分析力があったとしても、自分で実行しないのでは意味がありません。
 もっとひどい評論家になると、すべてが終わってから「あのときはこうすべきだった」「こうすればうまくいったのに」と言いだします。自分では一切行動を起こしていないのに、行動を起こした人を批判するのです。こういうタイプも、周りからは「あいつに難しい仕事はムリだな」と評価されています。
 周りは意外とよく見ているものですし、上層部までそういった情報は伝わっているものです。やはり、真っ当に努力する人が、正当な評価を受けるように世の中はなっています。
 「真っ当に努力する人が、正当な評価を受けるように世の中はなっています。」
この言葉に励ましを貰える人もいるのではないでしょうか。自分だけが苦労している。その苦労が報われないなどと、嘆かずに、「見ている人は、きちんと見ている」と信じて行動したいものです。

 「あなたはラストマンとしての行動がとれますか?」

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