人材育成コラム

“人財”育成のツボ

2015/12/18  (連載 第79回)

「知りながら害をなすな」

ITスキル研究フォーラム 人財育成コンサルタント / PSマネジメントコンサルティング 代表

安藤 良治

 2015年も残すところ僅かとなりました。
 振り返ってみますと、2015年は“偽装”に関する報道が相次ぎました。
 フォルクスワーゲンの排ガス規制逃れ、企業の決算報告、マンションの杭、そして血液製剤と様々な“偽装”が明るみになりました。
 このような偽装事件が起きると顧客は不安になります。「うちは大丈夫か?」事件を起こした企業だけでなく、同業他社の案件であっても不安がつのります。
 事業を行っている以上、そこにはルールがあり、プロとして果たさなければならない責務があります。
 P.F.ドラッカーは、著書「マネジメント」で以下のように言っています。
「知りながら害をなすな」
 プロフェッショナルの責任は、すでに2500年前、ギリシャの名医ヒポクラテスの誓いのなかに、はっきり表現されている。「知りながら害をなすな」である。
 プロたるものは、医者、弁護士、マネジャーのいずれであろうと、顧客に対して、必ずよい結果をもたらすと約束することはできない。最善を尽くすことしかできない。しかし、知りながら害をなすことはしないとの約束はしなければならない。顧客となるものが、プロたるものは知りながら害をなすことはないと信じられなければならない。これを信じられなければ何も信じられない。
 それでいながら、プロたるものは自立性を持たなければならない。顧客によって、支配、監督、指揮されてはならない。
 また、自らの知識と判断が自らの決定となって表れるという意味においては、私的な存在でなければならない。しかし同時に、自らの私的な利害によってではなく、公的な利害によって動くことこそ、彼に与えられる自立性の基礎であり根拠である。
 言い換えるならば、プロたるものは、自立した存在として政治やイデオロギーの支配に従わないという意味において、私的である。しかしその言動が、依頼人の利害によって制限されているという意味において、公的である。そしてこのプロの倫理の基本、すなわち公的責任の倫理の基本が、「知りながら害をなすな」である。
 顧客である消費者は、「プロたるものは知りながら害をなすことはない」という暗黙の信頼関係の中でモノやサービスの提供を受けているわけですから、偽装という行為は、その信頼関係を揺らぐ大変大きな裏切り行為です。
 なぜ、このような偽装が業種業界をまたぎ、噴出したのでしょうか?

 「日航」を再建した稲盛さんは、著書「燃える闘魂」で現在の資本主義のあり方に警鐘を促しています。
 そもそも資本主義の歴史を振り返っても、そのはじまりは、ビジネスを通して、「世のため人のため」に貢献することにあった。
 資本主義はキリスト教社会、なかでも倫理的な教えの厳しいプロテスタント社会から生まれてきたものである。初期の資本主義の担い手は敬虔なプロテスタントであり、マックス・ウェーバーによれば、彼らはキリストが教える隣人愛を貫くために厳しい倫理規範を守り、労働を尊びながら、産業活動で得た利益は、社会の発展のために活かすということを、モットーとしていた。
 したがって、事業活動においては、誰から見ても正しい方法で利益を追求しなくてはならず、また、その最終目的はあくまで社会のために役立てることであった。
 つまり、世のため人のためという高邁な精神が、初期の資本主義の倫理規範となっていた。米国の初期の資本主義の担い手の経営者たちもこのような「世のため人のため」という精神で、ビジネスを拡大していった。
 しかし、現代の米国を中心とした資本主義は、人間の欲望を原動力として、できるだけ多くの利益を得たい、それも楽して得たいと望むものに変貌してしまった。そして、そのもてる意志と知性を駆使して、その際限ない発展に血道をあげてきたのである。
 現在の資本主義の根本的な問題は、制度やシステムの問題ではなく、つまるところ、その根本にあるべき精神の問題であろうと思う。その精神を根本から見直すことを通して、いまこそ資本主義をより節度のあるものに変えていかなければ、現代の資本主義の課題を克服することが難しいはずである。
 わたしは資本主義社会を生きる者が、正しい倫理観、強い道徳観を備えることが、いま最も大切なことであろうと考えている。資本主義とは本来、マックス・ウェーバーが唱えるように、己のためではなく、社会のために利益を追求する経済システムであったはずである。
 経済のあり方の大転換が求められると同時に、経営者たちの心の転換も必要である。
 経営者は、「自分だけよければよい」というみずからの欲望や自社の損得だけで動くのではなく、「世のため人のため」といった高邁な精神を基軸としてビジネスを展開していかなくてはならない。そのような「世のため人のため」という高邁な精神で経営にあたれば、自己の利益の最大化のみを目指し、利己主義に陥った資本主義の軌道修正も可能となり、世界経済は調和ある発展を今後も持続できるに違いない。
 稲盛さんは、経営者に焦点を当て、心の転換の必要性を説いていますが、部門の責任者、現場のリーダーの心の転換も経営者と同じように必要です。
 事業を営む以上、経営目標があり、稲盛さんは「不屈不撓の一心で目標達成に取り組め」とも唱えます。数値目標を持って、その達成のために努力することは事業活動としては当然のことです。しかしながら、数値は「目標」であって、「目的」ではありません。
 数値目標を追い求めることが目的となってしまっている組織が増えた結果が、「知りながら害をなす」プロとしてあるまじき行為“偽装”につながったのではないかと思います。
 会社の事業目的を全員が理解し、まずプロとしての倫理観を身につけた上で、ライバルとの健全な競争に取り組みたいものです。

 プロと顧客の信頼の基本「知りながら害をなすことはない」、この信頼関係を早急に取り戻す必要があります。
 そのためには、今年一年間取り組んできた「人が育つ文化づくり」を形にすることも大事なテーマだと思います。来年も引き続きこのテーマに取り組み、「人が生き生きとして働く職場、向上心の高い職場」の実現に向け活動してまいります。

 今年も一年間お読みいただきありがとうございました。
 2016年が皆様にとって、より良き年となることをお祈りいたします。

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