人材育成コラム

“人財”育成のツボ

2017/01/23 (連載 第92回)

「鬼十則」について考える

ITスキル研究フォーラム 人財育成コンサルタント / PSマネジメントコンサルティング 代表

安藤 良治

 新しい年を迎え、気持ちを新たに誓いをたてたり、何かに取り組もうと計画を練っておられているのではないでしょうか。
 この一年が皆様にとって、幸の多い年となることをお祈りいたします。

 2017年という年がどんな年になるのか、世界の情勢に目を向ければ大きな変化が起きることを予感させます。
 トランプ米国大統領の就任とそれによって引き起る世界情勢の変化
 英国のEU離脱とその影響
 中国の南シナ海へのアプローチとそれに伴う緊迫したアジア情勢
 韓国大統領選、政治的混乱の鎮静時期不明の中で起こる解決すべき諸問題

 明るい夢や希望を語るには、世界の情勢は不安要素が多く、我々も足元をしっかり見ながら、自国並びに世界の平和と発展に貢献していきたいものです。

 「気を引き締める」

 迎合ではなく、相手の主張を尊重した上で、自分たちの望んでいる姿をきちんと踏まえた対応が求められます。
 その点では、トランプ次期米大統領のツイートに、迅速に対応した豊田章男トヨタ自動車社長の発言は流石「世界のトヨタ」だと高く評価したいと思います。
 ご承知の通り、トランプ氏は1月5日、トヨタに対して、メキシコで生産したカローラを米国で販売するならば関税をかけると警告しました。
 直前に同様のツイートでフォード社は、「メキシコ工場建設を中止」と発表していただけに、トヨタ自動車の対応は世界の注目を浴びていました。
 もし、ここでフォード社と同じく「メキシコ工場建設中止」の発表をしていたならば、「弱腰」としてトヨタだけでなく、日本の対応を一斉に非難されるところだったのでは、と思います。
 今年は、一つの発言が、大きな影響力を持って、激震が起こることが頻発するのではないでしょうか。慎重に、気を引き締めて発言することが求められます。

 さて、広告業界の最大手電通の社員の長時間の過重労働により自殺した事件は、その責任をとって社長は辞任、役員の報酬減額、元上司を処分することになりました。また、労働環境改革本部を設置し、働き方の改革に取り組み、その対策の一つとして社員手帳に載せてきた社員の心得「鬼十則」を2017年より掲載しないと発表しています。

 この「鬼十則」とは、電通の4代目社長「広告の鬼」と呼ばれた故吉田秀雄氏が1951年に書いた以下の10か条の遺訓です。
一、仕事は自から「創る」べきで与えられるべきではない。
二、仕事とは、先手先手と「働き掛け」て行くことで、受身でやるべきものではない。
三、「大きな仕事」と取り組め。小さな仕事は己を小さくする。
四、「難しい仕事」を狙え。そしてこれを成し遂げる所に進歩がある。
五、取り組んだら「放すな」殺されても放すな。目的完遂までは…。
六、周囲を「引きづり廻せ」引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
七、「計画」を持て。長期の計画を持っておれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
八、「自信」を持て。自信がないから君の仕事には、迫力も粘りもそして厚みすらない。
九、頭は常に「全回転」八方に気を配って一分の隙もあってはならない。サービスとはそのようなものだ。
十、「摩擦を恐れるな」摩擦は進歩の母、積極の肥料だ。でないと君は卑屈未練になる。
 特に五条の「取り組んだら話すな、殺されても話すな、目的完遂までは…」という一節が、長時間労働を助長しかねない電通の企業風土を象徴する心得だとして、過労自殺した社員の遺族側が問題視したようです。

 一つの問題が起きると企業風土として全体の問題につながり、これまで培ってきた理念や精神を覆すことになることがあります。これは致し方のないことかもしれません。しかし、電通という会社の中興の祖が築いた精神が引き継がれなくなるのはいかがなものでしょうか。

 私は、この「鬼の十則」について苦い思い出があります。
 入社2年目のある朝出社すると私の机に「電通鬼の十則」のコピーが置いてありました。コピーのみで、何のコメントもありません。
「また、あの人だな!」
 いつも禅問答を楽しむように私に課題を課す上司が置いていったものでした。
 以前もこのコラムでお伝えしたように「ある少年の夢-京セラの奇蹟」(加藤勝美著、現代創造社刊)を読むことになったのもこの上司のおかげでした。(【2014/01/21 不屈不撓(ふくつふとう)の一心】)

 コメントもなく、資料が置かれているだけのことでしたので、その理由は自分で考えるしかありません。そのことで考える力がついた気もしますが、いろんな勘違いもしたようです。

 「電通鬼の十則」が置かれた時は、私は入社2年目の教育担当、資料を置いた上司は総務部長兼教育課長、その上司と私の間に戦力になる方は存在せず、実質教育の企画から運営まで私がどこまでできるかが上司にとっても切実な課題でした。
 私を育てる意味で禅問答を繰り返した上司ですが、この「電通鬼の十則」は私には辛い課題でした。

 《上司は何が言いたいんだろう。私は、これまで背伸びをしながらも随分頑張ってきたつもりだ。それなのに、この鬼の十則で何が言いたいんだろう》
一、仕事は自から「創る」べきで与えられるべきではない。
二、仕事とは、先手先手と「働き掛け」て行くことで、受身でやるべきものではない。
《私は、与えられた仕事以外にも取り組んいるではないか。まだ足りぬというのか》
三、「大きな仕事」と取り組め。小さな仕事は己を小さくする。
四、「難しい仕事」を狙え。そしてこれを成し遂げる所に進歩がある。
《2年目の自分としては、充分難しい仕事に取り組んでいるではないか》
五、取り組んだら「放すな」殺されても放すな。目的完遂までは・・・。
《何なんだ、上司はここから何を伝えたいんだ》

 正直、上司の意図が分からず、もっと働けというのかという怒りに似たものを感じました。
 その一方で後半の5つについては感ずるものもあり、結局、上司にその意図を確認しないまま、私が部長職となり退職するまでの間、この十則はいつも目に見えるところに置いてありました。
 何度も読んで目にしているうちに、前半の5つについても理解し、特に指導的な立場になってからは、主体的に働くことの重要性や大きな仕事、難しい仕事に取り組むことの意義についても共感するようになりました。

 インターネットで「鬼の十則」を検索すると、次のような解説に出会いました。
 「電通について、吉田は知識労働者の会社であることを繰り返し述べている。こうした知識労働者の仕事をいかに科学的かつ創造的に進めるかについて、経営者として考え続けたのである。その意味では、工業社会から知識労働者の時代を迎えるなかで、ドラッカーが発見した「マネジメント」の概念を、吉田もまた気づいていたというべきである。「ポスト・資本主義の時代」の著作のなかで、ドラッカーは、知識労働者を働かせるのと、工場労働者を時間の規律のなかで働かせるのとではまったく異なる、と指摘している。」
「鬼の十訓」の現代性――吉田秀雄(田部康喜公式サイトより)

 電通で発生した過剰労働による自殺という事件は、繰り返されることのないよう徹底的な対策が必要です。
 経団連でも「働き方改革」に取り組むことになったことも、歓迎すべきことだと思います。
 そうした改革に取り組む中で、「一人一人が主体的に仕事に取り組み、自らが責任をもって成果を出すための努力を惜しまない」この精神は引き継がれることを願いたいものです。
 「難しい世界情勢の中でも、きちんとした考えを発言できる人が育つように」

この記事へのご意見・ご感想や、筆者へのメッセージをお寄せください(こちら ⇒ 送信フォーム