人材育成コラム

“人財”育成のツボ

2017/02/21 (連載 第93回)

人事評価は誰のために

ITスキル研究フォーラム 人財育成コンサルタント / PSマネジメントコンサルティング 代表

安藤 良治

 昨年6月「年次評価面談、階級制度を廃止する動きが急ピッチで広がっている」をテーマにコラムを書きました(こちら)。その後も同様のタイトルの記事が増え、ヒューマンキャピタルOnlineの今月号の記事で「年次評価廃止(No Ratings)を成功させる2つの要因とは」(こちら)が掲載されていました。筆者は、「人事評価はもういらない」という本を出されている松丘啓司さんです。
 「人事評価をなくしたら、頑張っている社員が、やる気をなくすんじゃないか!」と、タイトルだけをみると心配される方もいることでしょう。
 そもそも「年次評価廃止を成功させる・・・」というタイトルに違和感を感ずる人も多いのではないかと思います。年次評価を廃止することは、目的でもなんでもありません。

 記事を読んでいくと、こう記載されています。
 「年次評価の廃止は、廃止することが目的ではなく、現場における日常的な目標設定とフィードバックを繰り返すマネジメントを定着させることにねらいがあります。その際のマネジメントにおいては、個々人の意欲と強みを引き出し、リフレクション(内省)を促すことによって成長を支援するピープルマネジメントが求められます。」
 この文を読めば納得される方も多いでしょう。
 つまり、人事評価は、「自ら頑張り成長しようとする社員を支援する」ものだということでしょう。
 で、あれば長年人事に身を置いてきた私からすれば、日本企業における人事部門は、「自ら頑張り成長しようとする社員を支援する」ことを目的として、人事施策に取り組み、その中の一つとして人事評価制度があった。だから、今の機運は目的そのものが変わるのでなく、運用の実態を点検し、再度目的に合致したものであるかをチェックせよ、ということだと思います。

 私は、日本企業の人事の方には、もっと元気を出していただきたいと昨今強く思うようになってきました。どうも企業における人事部門のプレゼンスが低下し、根幹にかかわる部分までアウトソーシングの対象になっているのではと危惧しています。今回の年次評価廃止の機運もしっかりと目的意識をもって、あるべき姿を描き、その目的を達成する手段を見出していただきたいと願っています。

 人事部門は、人材育成に心を配り、短期的な業績目標を達成しなければならない現場と、時には対立し、長期的な人材育成とのせめぎあいの中で落としどころを見つけ、現実の施策に落とし込む役割を担っていました。現場にとってはうるさいけれども長期的な観点からは、理解を示し、健全な対立軸として存在していた人事部門。
 その自負を持って、現在人事部の方は取り組めているでしょうか?

 現場に任せれば、人事評価制度も正しく運営できるとするのが現在の風潮であるとするならば、間違いなくその発想は短期間で覆ることでしょう。と、私は思っています。
 現場は、その時点での環境に適応して絶えず変化することが求められます。時として人にも厳しいジャッジをしていかなければならない場面も発生します。長期的な視点で高尚なことを言いたいけれども、そうじゃない状況にも直面します。
 伝統ある日本企業は、その企業としての理念があり、哲学があり、その方針を守り抜くために全社の視点で統制する部門を置いてきました。短期的な視点で変化する現場とは別に存在する統制部門、その一つが人事部門です。

 このコラムを書き出してから、もうすぐ8年がたちます。本から学び感じたことをコラムにしたためてきましたが、米国発のいろんな理論が実は「ジャパンアズNo.1」を発端として、日本企業から学びその成功例を理論化したものが沢山あることに気づかされました。
 今回の年次評価廃止の機運にもつながっているピーター・センゲの「学習する組織」も日本の高度成長期をモデルとして、日本の優れたソフト面にスポットを当てて定義したものです。このことは、2016/11/18 (連載 第90回)『「個の集まり」から「素晴らしいチーム」になるために』に記載しています(こちら)。

 また、年次評価がもたらした弊害として、「目標も評価基準も上から与えられたもので、仕事とは上から示された指針に従って行うものという意識が強化されていった。」と言われています。
 つまり、自ら主体的に取り組むのでなく、言われたことをやる人を増やしてしまったと。
 このことについては、2012/07/13 (連載 第38回)「新たなビジネスにはどんな人材が必要か」で、リコーの浜田元社長の著書「浜田広が語る『随所に主となる』 人間経営学」を取り上げ、株式会社リコーの理念「随所に主となる」を紹介しました(こちら)。ここで取り上げた図書で、浜田氏が語る「随所に主となる」というのは臨済宗の祖、臨済(867年没、唐の禅僧)の言葉からきたものだが、「随所に主となれ」という言い方をする人がいる。「主となれ」でも、「主となる」でも似たようなものと思うかもしれないが、まったく違う。「なれ」とオーダーするのではない。「なる」ように、どうやって仕組むかなのである。随所に主とならなければいけない。なってくれなければいけないのである。ならせるのではないのだ。さすがに禅の言葉である。この文には、大変重いものを感じます。もともとの日本企業の伝統には、このように「主体的に取り組む」ための思想や取り組みがあったのだと思います。

 「人事評価制度は、『自ら頑張り成長しようとする社員を支援する』ものである。」
 人事部門の皆さん、今一度この目的に合致した制度となっているかを点検し、目的達成のための改訂に取り組みましょう。
 人事部門の皆さんが「主となり」取り組まれることを願っています。

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