人材育成コラム

“人財”育成のツボ

2019/02/20 (連載 第117回)

逃げたらあかん!

ITスキル研究フォーラム 人財育成コンサルタント / PSマネジメントコンサルティング 代表

安藤 良治

 「お父さんにぼう力を受けています。
 夜中に起こされたり起きているときにけられたり
 たたかれたりされています。
 先生、どうにかできませんか。」

 悲痛な思いで、必死になって助けを求めたにも関わらず、1月24日 千葉県野田市立小4年の栗原心愛(みあ)さん(10)は亡くなりました。父親の勇一郎容疑者(41)=傷害容疑で逮捕=と、同容疑で母親のなぎさ容疑者(31)が逮捕されています。
 この事件を知り、心を痛め、強い憤りを感じている方が多くいます。
 「なぜ、事件を防げなかったのか?」
 「一度は児童相談所に保護されたのに、なぜ自宅に返してしまったのか?」
 「悲痛な思いで助けを求めたアンケートを父親に見せるなど、あってはならない!」
 この事件を教訓として児童相談所の相談員の職員を大量に増やすことが検討されています。それだけ、家庭内における虐待や暴力の事案が多いということに驚かされます。そのような親がいることに憤りを感じます。
 体制や制度面を見直して再発防止に取り組むのは当然のことですし、今後の行政の取り組みを見守りたいと思います。

 今回、このコラムで取り上げたいのは、「悲痛な思いをつづったアンケートの扱い」についてです。
 千葉県野田市立小学校では、他の学校と同様、主として学内のいじめの把握、早期対処を目的として年2回、生徒に対するアンケートを行っています。
 《ひみつをまもりますので、しょうじきにこたえてください》
 平成29年8月沖縄県糸満市から野田市立小学校に転入してきた心愛さんは、その年の11月のアンケートに意を決して回答します。
 《あなたは、今いじめられていますか》との問いに《はい》。
 《だれからうけましたか》には《かぞく》をまるで囲んだ。
 そして自由記載欄に冒頭の救いを求める声を記載しています。
 アンケートは、匿名での記入もできたようですが、心愛さんは、しっかりと名前を記しています。

 アンケート受領後、担任が聞き取り調査を行ったようで、その欄外に担任の字で、「けられて今もいたい」「なぐられる10回(こぶし)」「口をふさいで」「ゆかにおしつける」や妹の面倒を見なかったら「せなか首をちからいっぱいける」「おきなわでは、お母さんがやられていた」と記載がありました。
 これを機に、心愛さんは千葉県柏児童相談所に一時保護されます。12月27日に虐待の疑いがある勇一郎容疑者から引き離す形で、児童相談所は親類宅での生活を条件に心愛さんの一時保護を解除しました。
 この時期に容疑者は、アンケートの存在を知ることになります。
 30年1月12日野田市教委や学校、両親らの話し合いの場が設けられます。
 「(一時保護の解除は)暴力がない証しだろう」と容疑者はアンケートの開示を強く求め、(開示しないときは)「訴える」と迫ったそうです。
 市教委は、「本人の同意がない」といったんは抵抗する姿勢を示しましたが、容疑者は3日後の15日、心愛さんが手書きしたとする同意書を持参。
 そこで、コピーが手渡され、秘密の約束が破られたのです。

 市教委の指導課長は「どう喝され、威圧的な態度に恐怖を感じた。精神的に追い詰められ、渡してしまった」と釈明しています。
 この指導課長の対応のまずさが、この事件の最も重要な教訓です。
 「守るべき立場の人が、目の前の恐怖に屈し、守ることを放棄した。」逃げたのです。
 これは、人数が少ないとか、他の事案がたくさんあるとか、そんなことが原因の問題ではありません。「プロとしての自覚」「自分が大事にしなければならないもの」そして「逃げない心」が不足しているために起きたのです。
 ある専門家は、「初期段階で毅然(きぜん)とした対応をすれば父親も冷静になったかもしれない」といいます。
 そうだと思います。優秀なプロであれば、毅然たる態度で初期対応ができたことでしょう。しかしながら、恐怖を目の前にしている時、普通の人間なら逃げたくなるものです。

 前職で人事課長時代だった私の経験をお話しします。
 横浜商工会議所主催のある会議に私は参加しました。数十人が参加した会議だったかと思います。その会議の一つのテーマに、ある右翼団体がどういうわけか激怒し、商工会議所をはじめ、参加した企業へのクレーム、社長名での謝罪文の提出等、いわれのない要求をしました。
 数日間は相当な数の街宣車が大音量で商工会議所周辺を回るなど、当時は深刻な問題になりました。最終的には、主催した商工会議所の対応で問題は収束した事案となりました。
 この一連の騒動の中で、右翼団体は要求書をもって参加した企業を訪問しています。
 いわれなき要求なので、毅然たる態度で取り合わず、お帰りいただくのが正しい対応です。
 参加した人たちは、連絡を取り合い、どの企業を訪問したか、その時の様子などを情報交換します。毅然たる態度で応じた人たちは、武勇伝のように語る人もいました。

 連日訪問情報を交換する中でどういうわけか当社にはなかなか訪問がありません。「事態は沈静化したのかな?」と安堵しかけた頃、3人の訪問がありました。
 リーダー格の初老の紳士風が奥に、眼力の強い巨漢の男性が真ん中、そして入り口付近にやくざを思わせるとにかく何か話すとすぐに「街宣車をまわすぞ!」とすごむ男性の3人です。対する当社は、私ともう一人庶務課長が対応しました。
 リーダー格は、淡々と要求を伝えますが、巨漢の男性がずっとにらみをきかせています。そして、こちらが少しでも反論すればやくざ風の男性が「街宣車…」と騒ぎ出します。
 怖かったです。逃げ出したかったです。他社での対応や武勇伝などは頭から吹き飛んでしまいました。
 「この連中は、あの会議に出席した企業に対して要求しているが、私の判断で出席した会議なのだから、私個人の行為ということで対応しよう。」
 そこで、毅然たる態度とはかけ離れて、何度も「それは私の判断です」「私が参加しました」「私が……」と何度も繰り返し、会社の問題から切り離そうと必死に対応しました。
 正直、もっとうまく対応したかったです。隣の庶務課長にかっこ悪い姿を見せたな、と悔しい思いもしました。

 どのくらいの時間がたったでしょう? 私にとっては恐ろしく長い時間、彼らにとってはらちの明かない問答を繰り返し、ようやく帰ってくれました。
 「毅然たる態度でできていれば……」と悔やむ部分もありましたが、上司や幹部そして会社に影響がおよぶことがないよう守れたという自負だけは生まれました。
 その時以来です、何かあった時に、自分に対して「逃げるな!逃げるな!」といい聞かせることになったのは。

 さて、心愛さんの事案に戻り、指導課長がアンケートのコピーを渡してから、その3日後には心愛さんは学校を親の意向で転校させられます。
 その後、親類の体調が悪化。自宅に戻すかどうかの検討を迫られ、30年2月26日、親類宅で容疑者への面会が行われました。
 その際、容疑者は心愛さんが書いたとする「お父さんに叩かれたことは嘘です。早く(家族)4人で暮らしたいと思っていました」という文書を提示します。
 3月上旬、心愛さんは自宅に戻り、容疑者と同居を開始することになりました。3月19日に学校で心愛さんと児童相職員3人が面会し、文書は強制的に書かされたものだと明かされましたが、対応は何も検討されなかったとあります。
 ここでも対応した職員が目の前の問題から逃げています。
 その後、転向した学校でも2回のアンケート提出機会があったようですが、心愛さんから、虐待を訴えることはありませんでした。悲しいじゃないですか!

 「プロとして毅然たる態度で正しい対応をする」。それができれば理想ですが、「プロである以上、逃げたらあかん!」。
 かっこ悪くてもいいじゃないですか、守るべきことが守れれば。


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