人材育成コラム

“人財”育成のツボ

2019/10/21 (連載 第125回)

Bullshit Jobs(どうでもいい仕事)とならないために

ITスキル研究フォーラム 人財育成コンサルタント / PSマネジメントコンサルティング 代表

安藤 良治

 『Bullshit Jobs: The Rise of Pointless Work, and What We Can Do About It』という著書を出したデヴィッド・グレーバーという文化人類学者がいます。
 著書を発刊して2週間で13か国語に翻訳され、1年後には28か国語に増えるなど、大変反響を呼んでいるようです。残念ながら、現時点では邦訳はされていません。
 私がその存在を知ったのは、「未完の資本主義(テクノロジーが変える経済の形と未来)」(大野和基著、PHP新書)からです。
 この本は、著者の国際ジャーナリスト大野氏が7人の知の巨人にインタビューした内容を記しています。そのインタビューの一人にグレーバー教授がいました。
 グレーバー教授へのインタビューから抜粋します。
 「自分の仕事を『必要ない』と思う人々」

 当初、私は、自分の仕事を必要ないと思っている人は、せいぜい15~20%くらいだろうと考えていました。
 しかし、イギリスの調査会社「YouGov(ユーガブ)」が私の言葉を引用して行った調査によると、「自分の仕事は社会に意味のある貢献をしているかどうか」という質問に対して、37%の人が「まったくしていない」と答えたのです。
「どちらかわからない」が13%、「間違いなく貢献している」と答えた人は50%に過ぎませんでした。
 多くの人が働くことに意義を見いだせていない。バスの運転手や看護師、あるいは清掃係であれば、直接的に社会に貢献しています。ところがデスクワークの人に目を向けると、「自分の仕事は世の中にどう役立っているのかわからない」 と密かに思っている、そう考えるようになりました。
 どんな仕事がBullshit Jobs(BS職)となるかの質問に対し、グレーバー教授は、5つの分類を示しています。つまり、
「Flunkies(太鼓持ち)」……受付係や秘書など
「Goons(用心棒)」……企業弁護士や電話営業、ロビイスト、広告・広報など
「Duct Tapers(落穂拾い)」……不具合が起きた時のためにある職、電話番など
「Box Tickers(社内官僚)」……本当はしていないことをあたかもしているように見せかける仕事、コンプライアンス部など
「Task Makers(仕事製造人)」……監視する必要がない人を監督する人、もう一つは他の人にBS職をつくり出す人
 この定義にグレーバー教授の偏見があるようにも感じますが、次の話しからは日本の中間管理職の存在と合わせて合点がいく部分もあります。
 BS職の余波は映画界にも及んでいます。映画関係者に「最近のハリウッドの台本はなぜここまでひどいのか」と聞くと、必ず帰ってくるのは「脚本家やディレクター、プロデューサーのあいだに、いろいろな層の人たちがいるからだ」という答えです。どうやら5層くらいの幹部職があるそうで、彼らは特に何をするわけでもなく、何をすべきかを自分で探しながら、過ごしているといいます。
 とはいえ、何か仕事をしなくてはいけないので、上がってきた脚本をそれぞれが一、二行直すんです。そうやっていろいろな人が変に首を突っ込むから、最終的に意味不明の台本が出来上がるというわけです。
 私も身に覚えがあります。人事部で人員管理を担当していた時の出来事です。ITバブルが崩壊し、社内全体に人員の余剰感が出てきた際、上司からの命令もあり、各事業部の人員の過不足感を毎月調査することになりました。
 私は、各事業部から出てきた申告値をまとめ、そこに記載している対策状況と今後の見通しを全社資料としてまとめ、役員会で報告していました。
 ある事業部から出された資料は、いつも首をかしげる内容でした。もっとも余剰感が高く、仕事の確保の見通しも厳しいと思われる事業部であるのに、いつも人員の過不足感は「ない」、今後の見通しも予算通り業績確保の予定、との回答 でした。
 数値をまとめている事業部の担当部長に本音を伺った際に、自分の仕事の無力感をとても感じました。
「周りからは、とても業績確保で苦しんでいると聞こえてくるのに、なぜ、人員の過不足感もなければ、業績も予算通り確保予定との回答を毎月されるのですか?」
担当部長「いやぁ、厳しいよ!でもさ、ギブアップはできないよね。人事に人員が余っています、業績確保も難しいです。って、解答したら、その後どうなるの?人事が助けてくれるの?」
「人の余剰があれば、それを全体で共有して、人員融通を図ります。そのための調査です」
担当部長「安藤はそのつもりで調査しているのかもしれないけれど、まずは調査結果を集計して、業績確保も厳しいと役員会に報告するわけだ」
「まぁ、そうなります。」
担当部長「じゃぁ、その役員会でのやりとりは?」
「……」
担当部長「トップから、事業部長に当然質問が飛ぶよね、見通しはどうか、この施策はしたのか、これはどうかなどなど、思い思いにいろんな思いつきで言われて、自分たちで今必死に業績確保のために動いているところに、そこでの会話が、いろんな介入をもたらして、我々が考えている施策でない、いわば無駄な動きまでしなきゃならんことになる」
 そこまで言われた時、「自分はいったい誰の、なんのためにこの調査をしているのだろう?」と疑問を持ちました。
 しばらく、調査は続きましたが、全体には問題ないという報告が続くので、その調査自体をやめることになったのは幸いでしたが、この経験は私に「仕事の意味」を考えさせられることになりました。

 グレーバー教授がいう「Task Makers(仕事製造人)」の仕事は、特に管理部門の仕事に多く発生します。良かれと思って取り組んでいるものの、結果として周りの仕事を増やしている仕事。この仕事は、みんなでチェックして減らす、なくしていかなければなりません。
 時代が変わり、人の価値観も変化するなかで、私たちの仕事の在り方も見直していくべき時期にきているのでしょう。グレーバー教授はいいます。
「仕事は苦しいもの」という思い込みが社会を蝕む

 今回わかったのは、「caregiving(ケアの提供)」の考えを労働における主要な要素に捉えてもいいんだ、ということです。フェミニストたちの指摘のように、すべての労働はある意味「caregiving」です。人が橋をつくるのは、誰かに川を渡らせてあげたいと思うからです。

 我々は、仕事に大切なものは何なのか、考え直すべきなのかもしれません。仕事は苦しいものだ、苦しみは真の大人の勲章だ、責任感のある人間になろう--。現代の労働観は、あまりにもねじれてしまっています。

 我々には、自分が最大の恩恵を受けたいと計算する。奇妙に快楽主義的な哲学があります。また同時に、1日8時間の労働に耐えれば、残りの時間は自分の楽しみのために使ってもいいという自己犠牲的な考えを併せもっています。あまりに もねじれた人生観であり、そんな考えを続けていたら、自分の体、ひいては社会も壊れてしまいます。本当に、一度再考すべきときが来ているのだと思います。
 それぞれが、誰かのためになっているんだという自覚を持つながら、やりがいのある仕事に就けている社会を築きたいものです。


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