人材育成コラム

“人財”育成のツボ

2011/04/15  (連載 第23回)

思いを伝える

ITスキル研究フォーラム 人財育成コンサルタント / PSマネジメントコンサルティング 代表

安藤 良治

 4月7日深夜に起こった大きな余震。復興に向け歩み始めた商店の棚を再びな ぎ倒し、恐怖と絶望感そしてやり場のない怒りを被災地の皆さんは感じておられ ることでしょう。心よりお見舞い申し上げます。

「今、自分に何ができるか」
「自分は、今何をすべきか」
多くの人が、この問いを自らに発していると思います。

 スポーツ選手は、スポーツを通じてその思いを伝え、アーティストも自身の活 動を通じてその思いを伝えています。様々な職業の方たちが、自身の職業を通し て思いを伝えようと努力しています。
 日本全体が、絆を深めようとそれぞれの立場で思いを伝えています。
 この思いが一つになり、明日に向かって歩み始めることで、必ず日本の明るい 未来を築くことができると信じます。幾度の試練を乗り越えてきた日本だからこ そ、できると信じています。

 私には、何ができるのか?
 今回のコラムを作成するに当たり悩みました。

 私は現在、企業研修の講師を専らの生業としています。ヒューマンスキルやコ ンセプチュアルスキルの向上を目指した研修を担当し、研修参加者に何がしかの 気づきが起こり、明日からの実務にプラスになる機会を提供することを目的に活 動しています。研修という限られた場で、実習や演習を通じて生じた事象を振り 返り、フィードバックという形で受講者にコメントするのも私の仕事です。
 私の仕事は、「思いを伝えること」ともいえるかもしれません。
 そこで、今回のコラムでは、私の失敗経験も含めて、「どうすれば相手 に思いが伝わるか」について考察することにしました。

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 ちょっとした言葉が、相手を傷つけてしまうことがあります。思いを伝えるこ との難しさを痛感する場面です。一方で、ある一言が相手を動機付けることもあ ります。伝わったときの喜びは講師冥利に尽きます。これまでの経験を通じて感 じてきたことをお伝えし、指導する立場の方の参考になればと願っています。

「できていないこと」を一生懸命指摘する ─── 

 講師の仕事について間もない頃の私は、実習や演習を通じて生じたミスを一生 懸命受講者に伝えました。もちろん、私は受講者に気づいてもらい、その指摘を 受け留めてもらいたいと願って多くの指摘をしました。
 お分かりのようにこの方法では、相手に思いが伝わるどころか、受講者は俯き、 自信を無くし、そして私との対話も避けるようになりました。相手との信頼関係 が築けないまま指摘しても、指摘する側の自己満足であることに気づかされまし た。

「できていることを褒める」ことから始めた ─── 

 相手との信頼関係が重要と気づいた私は、できている点を褒め、認めるように コメントを改めました。人は褒められると嬉しいものです。褒められたことで自 信がつき、意欲が湧いてきます。褒めるコメントを多くしてから、受講者との関 係性は格段に良くなりました。
 しかしながら、改善点については指摘しなければなりません。褒めてから改善 点を指摘するようにしましたが、指摘すると途端に俯き、表情は固くなります。 他の受講者が褒められているのに自分は指摘されたとなれば、余計に自信喪失に つながり、指摘することの難しさを感じます。

「自分で振り返る」ことを奨励した ─── 

 一つの実習や演習が終わると講師がコメントするのでなく、自分で振り返り、 自己評価してもらいました。この自己評価は大変参考になります。多くの場合、 改善点に気づいており、自ら直したい点を評価してきます。良い点と思われるこ とまで改善点と思っている人もいます。人により自己評価が低めの人、やや自信 過剰の人とタイプは様々です。自己評価が低めの人のコメントは大変軌道修正が しやすいものです。
 「そんなことはないですよ。この点は大変良くできていますよ。もっと自信をも って良いと思います。ところでご自身が指摘したこの点については、気づいてお られるようですから意識することで良くなっていくでしょう」
 改善点についても肯定的なコメントで伝えることができます。「良い点を伸ば し、改善すべきを改善する」理想的な方向に導くことが可能になりました。しか し、ここでも問題は自己評価の高い人です。気づいていない改善事項を指摘する のは難しく、特に自信家の人への指摘は反発を買うだけになりかねません。

「自分の振り返りの後に、他の受講者の感想を聞く」 ─── 

 自分の振り返りの後に数人から感想を言ってもらうことで、気づく機会が多く なることがわかりました。他の受講者から、素直な感想が出てくるよう研鑽の場 づくりが前提条件となりますが、この場ができれば、講師から直接指摘せず他の 受講者から改善事項を指摘してもらうことができます。
 他の受講者からは、ともすれば辛らつな批判が出ることもあります。しかし、 その際は即座に講師から「そんなことはないです」と弁護することで受講者との 信頼関係も高まります。この関係性が築ければ、他の受講者から出なかった指摘 事項も全体を振り返る中で加えると、不思議と素直に聞き入れてくれるものです。

「一回の指摘は、二つまで」 ─── 

 講師になった当初は、気になることのすべてを列挙して指摘していました。と ころが、一度に多くの指摘をしても覚えているのは2つがやっとです。それ以上 伝えても、自信を無くすか、反感を持つかのどちらかであり決して良いことはあ りません。ポイントとなる二つ以内のことをどうやって気づいてもらうかが重要 です。
 自己評価でたくさん改善事項を挙げてきたケースでも、「一度にすべてを改善 することは難しいですね。○○さんは、この点は良いのだから、こことここを意 識して改善してみてはどうでしょう」とコメントすることで、次ぎはその2点を 意識して取り組むことができます。

「意識して改善できたことに対しては、大きな賞賛を」 ─── 

 実習や演習を繰り返す中で、意識している改善事項に取り組めた場合には、大 いなる賞賛をします。例えば、前号でお話したインタビュー実習における「と、 言うと?」のような質問が出せた場合には、皆の前で拍手をします。このことで 当人の自信につながることはもちろんのこと、他の受講者にも良い刺激を与える ことができます。
 私は講師の経験を重ねながら、試行錯誤の中で「どうすれば思いが伝わるか」 を意識してきました。自我の確立した成人に対して、コメントすることは容易で はありません。でも、研修を受けている以上、受講者は講師からのコメントを求 めているのも事実です。相手が受け入れたくなるような環境を作って、ポイント を絞って伝えていく工夫が必要なことを経験から学びました。

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 私はボランティア活動の一環としてIT人材育成事業者協議会(ITTVC) が企画している「ITラーニングファシリテーター育成コース」の開発に参加し ています。コース開発に当たり、成人教育学という日本ではあまり馴染みのない 分野を学ぶことから始めました。成人教育の入門書として英国の成人教育家ジェ ニー・ロジャースの著作「おとなを教える(講師・リーダー・プランナーのための 成人教育入門)」(学文社)「第4章フィードバックをする」には、以下のよう なチェックリストがあります。

◆ 学習者にフィードバックするために、いくつかの異なった方法を用いているか
 ・書かれた文章によるコメント
 ・一般的な向上に関するディスカッション
 ・個々の学習成果についてのコメント
 ・行動計画
◆ 一つの授業の間に、すべての学習者がフィードバックを受けているか
◆ いつも即座にフィードバックを与えているか
◆ いつも悪い点を批判する前に、良い点をほめているか
◆ 人ではなく、学習の出来映えを批判しているか
◆ フィードバックでは、常にその理由を述べているか
◆ 開かれた質問をすることによって、学習者がフィードバックを理解したことを確かめているか
◆ 一度にわずかな批判だけに専念しているか
◆ 受講者相互が建設的なフィードバックをし合う雰囲気をつくっているか


 講師だけでなく、指導的立場の人すべてが参考にできるチェックリストではな いでしょうか。

 私自身は、フィードバックについて自ら失敗し、改善しながら今日に至った訳 ですが、世の中には「成人教育学」として整理されていることを知りました。も っと早く出会っていれば、多くの人に私の思い、感じたことをうまく伝えること ができたかも知れません。
 今後は、私の失敗経験をお伝えするとともに、「成人教育学」に裏打ちされた コースを展開することで、同じ失敗をすることなく、指導的立場の方たちが、自 分の思いを相手に伝え、信頼関係が構築できることを願って活動していきます。

 大変な時代を迎えた私たちですが、こんな時代だからこそ絆を深め、前に向か って歩んでいきましょう。それぞれの思いを伝えながら。

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