人材育成コラム

“人財”育成のツボ

2012/06/18  (連載 第37回)

「機運が熟す」

ITスキル研究フォーラム 人財育成コンサルタント / PSマネジメントコンサルティング 代表

安藤 良治

「ここにいる人たちの多くは、開発系のエンジニアだね。新しい技術を取り入れ、 売れるパッケージ製品を開発したいと思っている人もいるだろう。ぜひ、売れる 商品開発に取り組んでほしいし、経営幹部として芽のあるものには積極的に投資 したいと思っている。

今日は、私がどんなものに投資したいと思っているかについて話をしたい。それ は、“機運が熟している提案か?”ということだ。

私は長年メーカーの営業を経験する中で、日本を代表する研究者たちが関わり、 先端技術を駆使した製品の販売も手がけてきた。メーカーだから、世界初とか、 日本初という言葉が好きで、またそんなタイトルのついた製品はマスコミや広報 の受けがいい。だから、営業上の引き合いは出だし上々となる。当然売れるだろ うと、周りからは期待される。ところが、世界初なんて仰々しく訴えた製品は、 売れないことが多かった。「なぜ、売れないのか?」と当時の幹部からずいぶん はっぱをかけられたものだが、売れないものは売れない。

営業の最前線で働いてきて学んだことは、その製品なり技術が、市場で流通する “機運”が熟しているのか--。そこをうまく考えないと、テクノロジだけでは、 市場は受け入れてくれないということだ。製品や技術といった自社の視点から、 顧客の視点で評価する。顧客の視点で“欲しい”と思えるもの、それが“機運の 熟した”提案といえるだろう。私は、機運の熟した提案に投資したい」

 私(ここからの私は筆者のこと)は、メーカー系ソフト会社に入社して最初の 5年間は、教育担当として研修の事務局も数多く担当しました。上述の営業幹部 の話は、私が入社2年目の頃、主任層に対する研修でメーカーから役員として転 籍されてきた幹部が話されていた内容です。受講者である主任層は、この幹部の 話を一度しか聞く機会がありませんが、事務局である私は毎回ほとんど同じ内容 をかれこれ10回近くは聞いたのではないかと思います。不思議なことに、この 幹部の話は何度聞いても新鮮で私に刺激を与えてくれました。30数年前の話で すが、現在にも通じる話だと思いますし、大事なことだと思っています。
 この幹部の話から、私は顧客の視点で製品やサービスを評価することの重要性 を学び、そして“技術的に早すぎるものは売れない”--別の言い方をすれば、 “機運が熟していない製品は売れない”ということを学びました。

 では、“機運”とは何でしょう?“機運”を自ら作ることはできないのでしょ うか?
 自己中心的な思考の下では、機運を捉えることは難しいでしょう。逆に言えば、 機運を捉えるためには、“他者理解”と“拙速でなく我慢強い行動”の2つが必 要ということになります。そして、機運を捉えることが可能になれば、チャンス は限りなく大きなものとなることでしょう。
 司馬遼太郎によれば、「空海はその機運を捉える行動が実に巧みだった」と、 著書『空海の風景』(中公文庫)の中で次の表現で紹介しています。

「空海という人物のしたたかさは、下界のそういう人情の機微の操作にあったと いえる」

 この本は、小説であると何度も本文の中で論じながらも、偉大なる作家司馬遼 太郎が史実を集め、空海がとった行動、結果に対するその「因」なるものを求め、 空海という人物を浮き彫りにしようと、独特な展開で時にはリアルに、時には想 像力を働かせながら、絶妙に描写しています。

「かれのような歴史的実在に対しては想像を抑制するほうが後世の節度であるよ うにおもわれ、むしろそのほうが早やばやと空海のそばに到達できるということ もまれにありうる。しかしながら抑制のみしていては空海を肉眼でみたいという 筆者の願望は遂げられないかもしれず、このためわずかずつながらも抑制をゆる めてゆきたい」

 小説の本文中に著者の正直な思いが、描かれているのも珍しいように思います。 「○○の風景」とタイトルを工夫したことで独特なスタイルが出来上がったので しょう。
 さて、空海のとった行動を歴史的事実と、その時何を思ってそのような行動を とったのか。後者は司馬遼太郎の想像力をお借りして、偉大なる史実を残した空 海に迫りたいと思います。

(史実)
 空海は、仏教の流派の一つである密教を学ぶため、遣唐使として唐に渡った。
 密教は、インドで成立し、金剛智、不空によって唐に伝えられた。
 空海が入唐した806年、青竜寺の恵果が不空から受け継いだ唯一の僧であっ た。恵果の門人は1000人と言われ、数多くの門人がいた。恵果が空海に面会 したのは、806年5月、あってすぐに数ある門弟を差し置いて、恵果は自分の 後任の阿闍梨(密教界の法王)として空海を任命した。その儀式は8月に執り行 われている。

(補足事実)
 空海は、唐の中心都市である長安についてのち、5か月の空白期間がある。  このとき、何をしていたのかは定かではない。
 しかしながら、遣唐使の中に優れた書を書く人物がおり、それが空海であると いうことは長安では、有名な噂として広まっていたのも事実であろう。

(司馬遼太郎説)
 恵果は、空海が長安に入ったとき、あるいはそのあと西明寺に住して以後、そ の入唐の目的と、その異能をしばしば耳にしたであろう。
 このあたりに、空海がただちに青竜寺に参趨して恵果の門をたたくことをしな かった機微を見ることができるかもしれない。
 空海の長安における評判は日ごとに高まった。

 (中略)

 さらにかれの仏教あるいは密教についての造詣が西明寺の僧たちを驚かせてい たはずであり、そのことを思えば、恵果は空海が自分を訪ねてくる以前にすでに 空海について豊富な知識を持つに至ったかと思える。であればあるほど、恵果に おいて空海の来訪を待ち望む気分が昂じて行ったに相違なく、一方、空海におい ては、恵果の気持ちがそのように昂じてゆくのを待っていたのではないか。
 それがために、空海は、五か月近くも、恵果を、いわば置きっぱなしにしてい たのであろう。このことは、のち、空海が帰国してから九州にながくとどまり、 都に姿を見せなかったことと、感覚(政治感覚というべきか)としては濃厚に共 通しているように思える。
 空海という人物のしたたかさは、下界のそういう人情の機微の操作にあったと いえる。

 もし、空海が入唐してすぐに門人1000人がいる青竜寺の門をたたき、恵果 に面会を求めていたならば、単なる門人の一人として加えてもらえるかどうかで あり、恵果と言葉を交わす機会もほぼなかったのではないでしょうか。したたか ではあるけれども、歴史を作る人には必要な行動だったように思います。
 こうしてみると、機運もまた待つだけのものではなく、熟すようにシナリオを 作り、相手が欲するような土壌を育てることが必要なようです。それは、「広報 の仕事」とか「マーケティングの仕事」と思っているようでは、機運は作れない ような気がします。

 皆さんの会社では、どうやってその機運を高めていますか?

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