人材育成コラム

“人財”育成のツボ

2012/08/20  (連載 第39回)

日本再生戦略にも入れたい『九徳』の学びと実践

ITスキル研究フォーラム 人財育成コンサルタント / PSマネジメントコンサルティング 代表

安藤 良治

 政府の国家戦略会議(議長・野田佳彦首相)で策定された野田政権の経済成長戦 略である「日本再生戦略」が、31日に閣議決定された。この決定を受け、安住 淳財務相は同日の閣議後会見で、日本再生戦略で重点3分野と規定された医療、 環境、農林漁業の3分野に予算を傾斜配分できるよう、平成25年度予算に特別 枠を設定することを表明した。(7月31日産経ニュースより)

 これからの日本がどこに向かうかを決める「日本再生戦略」が閣議決定されま した。これまでは、平成22年6月に閣議決定した「新成長戦略」をもとに進め てきました。しかし、その後の東日本大震災で新たな試練に直面、「新成長戦略」 を再編・強化し、その取り組みを被災地の復興につなげることにしました。それ により、震災以前よりも魅力的で活力にあふれる国家として再生するために、こ れから私たちが進むべき方向性を指し示したものが、今回の「日本再生戦略」に なります。

 『Ⅰ.総論 1.「フロンティア国家」として』には、次のような記載があり ます。

日本が世界の中で突出する経済力を誇り、アジアで唯一の先進国という地位が保 障された時代はとうの昔に終わっている。今や日本は世界に先駆けて超高齢社会 に突入し、未曽有の災害に遭遇し、さらには原発事故によって深刻なエネルギー 制約にも直面している。

(中略)

私たちの先人は、これまでにも幾多の困難を乗り越えてきた。その際、我が国は 異質な存在や新たな知識に「開かれた心」をもって「交流」し、様々な能力を組 み合わせて「混合」し、無駄なものを削ぎ落としながら「変容」させ、「わび、 さび」に象徴される「引き算文化」のような日本独自の新たな価値を生み出して きたのである。フロンティアを切り拓くに当たっても「温故知新」の姿勢に立ち、 私たち自身の中に秘められている日本らしい力を再発見し、活用していくことが 重要である。

私たちは「フロンティア国家」としての自覚を持って「日本再生戦略」を実行し、 世界に先駆けて新しい経済や社会の姿を日本において実現することを目指してい く。

 私たちの先人の行為を「無駄なものを削ぎ落としながら『変容』させ、『わび、 さび』に象徴される『引き算文化』のような日本独自の新たな価値を生み出して きた」と紹介し、温故知新の姿勢で「日本再生」に取り組むとしている点は注目 すべきことです。

 そして具体的な取り組みの一つである「我が国経済社会を支える人材の育成」 の基本的考え方として以下のことが記載されています。

「新たな時代の開拓者たらん」という若者の大きな志を引き出し、自ら学び考え る力を育む教育などを通じて叡智にあふれる人材を育成していく必要がある。

(中略)

また、若者の国際的視野を涵養する取組を推進し、語学・コミュニケーション能 力を含め、新たな価値やビジネスを創造できる能力を持つ人材を育成することが 必要である。

 今の若者に「自分たちの未来は明るい」「その明るい未来を作るのは自分たち だ」との思いを抱いてもらえる社会をつくること。それが、現役世代の私たちの 使命ということだと思います。

 さて、この「日本再生戦略」は、11の成長戦略と38の重点施策に展開され、 戦略の継続的な実効性の確保として、改革の工程表も示しています。工程表では 2012~2015年までの各年の実施すべき事項を掲げるとともに、2020 年までに実現すべき成果目標をゴールとして設定しています。

 「人材育成戦略」の成果目標をいくつかあげると
  • 世界の大学ランキングでの上位校の増加
  • 日本人学生等30万人の海外交流
  • 成長分野への人材の円滑な移動
     1000万人規模の産業間人材移動
     200万人規模の職種転換

など、いずれも意欲的な目標が設定されています。

 「日本再生戦略」の改革工程に沿って、実際に展開され、設定した成果目標を 達成できるか否かは、政府・行政の取り組みに期待するところが大きいのは確か です。しかし、国民一人ひとりも受動的な立場でなく、主体的に取り組むことが 必要です。私たちがどのように関わり、どう主体的に行動するかは、総論にもあ った「先人」に学ぶこともひとつの方法と思います。

 山本七平氏の「人望の研究」(祥伝社黄金文庫)より、引用します。

人望の条件 - 「九徳」とは何か -

では、具体的には、何を目指せばよいのか。「近思録」には、誰でも学んで聖人 に至ることができると書いてあるのだから、目標は聖人ということになる。

(中略)

だがしかし、それはあまりに漠然としており、具体的にどうしてよいかわからな いなら、まずは「九徳」を目指すことであろう。「近思録」には「九徳最も好ま し」とあるから、具体的には、これに到達することを目指せばよいであろう。

(中略 九徳とは)

1.寛にして栗(かん にして りつ)
       (寛大でしまりがある)
2.柔にして立(じゅうにして りつ)
       (柔和で、事が処理できる)
3.愿にして恭(げん にして きょう)
       (まじめで、丁寧で、つっけんどんでない)
4.乱にして敬(らん にして けい)
       (事を治める能力があり、慎み深い)
5.擾にして毅(じょうにして き)
       (おとなしく、内が強い)
6.直にして温(ちょくにして おん)
       (正直・率直で、温和)
7.簡にして廉(かん にして れん)
       (大まかだが、しっかりしている)
8.剛にして塞(ごう にして そく)
       (剛健で、内も充実)
9.疆にして義(きょうにして ぎ)
       (強勇で、義しい)

(中略 十八不徳人間とならないために)

大体、重要なことは言葉にすると平凡である。だが、それぞれの二つの言葉には 相反する要素があるから、その一つが欠けると不徳になる。たとえば「寛大だが、 しまりがない」では不徳だから、全部がそうなれば。「九不徳」になり、両方が ない場合は、「十八不徳」となってしまう。

(例)寛大でしまりがある→「こせこせとうるさいくせに、しまりがない」

(中略 時代を問わず、世界に通用する徳目)

「九徳」は、世界中どこに行っても通用する徳目だということを記しておこう。 なぜそうなったかは別に記すが、このことは、幕末や明治の初めに欧米に行った 使節などが、なぜ高い尊敬をかちえたかを考えてみれば、自ずから明らかであろ う。

私は「近思録」を読んだとき、この謎の一部が解けたように思った。世界中のど この国へ行こうと、外国語がどれだけペラペラであろうと「十八不徳人間」が尊 敬されることはありえない。そして幕末・明治の人間は、少なくとも当時の指導 者階級であった者は、みな幼少時から「近思録」を叩き込まれ、これで訓練され てきたのである。

したがってわれわれも、国内人としてはもちろん、国際人として「九徳」を完全 に自己のものとするよう自らを訓練しなければならない。

 私はこのコラムを通じて、「『とく』を得る」(2011年1月)で「武士道」(新渡戸稲造著)、「機会(チャンス)はつくるもの」(2011年9月)で「代表的日本人」(内村鑑三著)、「芸術鑑賞の極意より」(2011年12月)で「茶の本」(岡倉天心著)を取り上げ、先人の心、特に「徳」について考察してきました。

 「日本再生戦略」の成果目標を達成するためには、先人たちが実践してきた 「徳」のある行為に学び、私たち一人ひとりが「九徳」を身につけ、実践するこ とが必要だと思います。

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