人材育成コラム

“人財”育成のツボ

2012/10/17  (連載 第41回)

「偉大なリーダー」

ITスキル研究フォーラム 人財育成コンサルタント / PSマネジメントコンサルティング 代表

安藤 良治

 元米国国務長官のコリン・パウエル氏はジャマイカ系移民2世で、ニューヨークのブロンクスでティーンエージャーの頃を過ごしました。14歳の頃から、夏休みとクリスマス休暇は、おもちゃ屋の荷物の積み下ろしのアルバイトを始め、18歳になるとペプシ工場でトラックのヘルパーとして働き始めました。そのような下積みをしてきた彼が、黒人としてはじめて軍隊の最高位の将軍に就き、陸軍、海軍、空軍、海兵隊という米国4軍を統括する統合参謀本部議長に最年少で就任するという偉業を成し遂げました。

 どのような過程を経てその偉業を成し遂げたのか…。大変興味があるところです。つい先ごろ著書「コリン・パウエル リーダーを目指す人の心得」(飛鳥新社刊 井口耕二訳)が出版されたので、早速読みました。
 タイトルは、日本語では「リーダーを目指す人の心得」となっています。原文は「IT Worked for me In Life and Leadership」(私の場合は、これでうまくいった)とありますから、いわゆるリーダーシップの書として書いているのではなく、自分の体験を通じて得た教訓を記したものと言えます。

 今回のコラムでは、この書から「仕事への取り組み姿勢」「失敗への対処」「偉大なリーダー」の3点を取り上げ、コリン・パウエル氏の考えや行動について紹介したいと思います。

◆◇◆「仕事への取り組み姿勢」◆◇◆


 パウエル氏が、偉業を成し遂げたベースとなっているのは、14歳の時に最初に取り組んだ仕事「荷物の積み下ろし」の時から始まっています。
「私はまじめに働いた。これは、ジャマイカからの移民だった両親から受け継いだ性質だ」
 単純な答えですが、「まじめに働く」ことが偉業のベースとなっています。
 ただ、まじめに働くだけでなく、「仕事バカにはならない」「メリハリのある生活」「人との関わりを大切にして人生を楽しむ」ことを実践してきたと言っています。どんなことにもベストを尽くしていれば、「見る人は見ている」--、これが、彼の得た教訓です。
 そしてリーダーとなった人には、「率先垂範」することの重要性を以下のように伝えています。
 私は、目的を持って懸命に仕事をし、仲間を奮い立たせる、また、家族との時間を大切にし、楽しむ、仕事バカではない人物が好きだ。充実したチームにしたいとも思う。だから、部下が懸命に仕事をするようにと私は懸命に仕事をするし、部下が仕事を楽しめるようにと私は懸命に仕事をする。部下がすることを信じていなければ、あるいは、仕事に必要な準備や装備が部下に与えられていると感じられなければ、このようなことは不可能である。
 仕事の基準は高めに、ただし不可能ではないレベルに設定する。できるかぎりの努力をすれば達成できるものにするのだ。

 パウエル氏は仕事に取り組むとき、いつもその仕事の目的を考え、その目的を部下にも伝え、自ら率先してきました。歩兵師団の指揮官をしていたとき、いつものようにベストを尽くしてその任務に取り組んできたにもかかわらず、当時の上官は期待に沿わないと低い評価をしました。その時の成績表は今もファイルに残しているとのことですから、よほど悔しい思いをされたのでしょう。しかし、その評価をした上官のさらに上のリーダーが、パウエル氏にはほかの能力や資質があるとしてもっと難しい役職へと異動させ、そこで能力を発揮する機会をもらったとあります。
 そのときの低い評価で、更なるキャリアを積み上げることは困難な状況だったにもかかわらず、さらに上の上司の判断によって次の道が開けたことから、
 「懸命に仕事をすること、そうすれば見ている人は見ている」
を実感されたのでしょう。

◆◇◆「失敗への対処」◆◇◆


 パウエル氏は、国務長官時代、最悪ともいうべき失敗をしました。
 2003年2月5日国連演説において、フセイン政権が大量破壊兵器を所有しているのは危険だと指摘して、イラク戦争へと世界の世論を向かわせました。ところが戦争が終わり、探しても探しても大量兵器は見つからず、戦争ありきで証拠も不十分なまま世論を導いたのではないかと非難されました。
 本書では、この国連演説のことに触れ、「今回以外その経緯を書いたことはない。今後、また書くつもりもない」というほど触れたくない汚点だったようです。
 そして、失敗への対処として以下のように述べています。
 もちろん、これが最初の失敗ということなどありえないわけだが、最悪とも言うべき失敗であり、影響が一番大きかったことはまちがいない。だが、ほかの失敗と変わらない点がある。次のような指針に従い、いつもと同じように対処したということだ。
 失敗はなるべく早く克服すること。また、そこから学ぶこと。転んでもただでは起きないのだ。自分がどうかかわったのかを検討する。自分に責任があるなら、潔く認める。自分よりも責任の重い人がいるかもしれないが、避難口がわりにそういう人を探さないこと。なにがまずかったのか、自分はどういうミスをしたのかがわかったら、それを教訓として前に進む。人生はフロントガラスの向こうを見ながら進むべきで、バックミラーを見ていてはいけない。皆に受けた侮辱や裏切り、攻撃、不幸などをぐちぐち言いつづける厄介者にはならないこと。友達の慰めにおぼれないこと。学んで前に進むのだ。

 最悪の失敗からも学び、バックミラーを見ずに、フロントガラスの向こうを見て進もう、の言葉には重みを感じます。人は、失敗を経験することで学びます。教えてもらうことよりも、自らその失敗とその原因に気づいた時、その記憶はいつでも取り出せる領域に収まり、同じ失敗をせず、一段階高い仕事にも応用できるスキルとして身につけます。一方で、失敗はその影響の大きさにより、自信を失い、それ以後のチャレンジマインドを喪失させることもあります。パウエル氏のような強い意志と信念を持つことも重要ですが、周りの支えがあってその壁を乗り越えられるのだと思います。

◆◇◆「偉大なリーダー」◆◇◆


 私は、プロジェクトマネージャーの研修を受け持つ中で、「マネジメント」と「リーダーシップ」の違いについて、受講者と議論することがあります。マネジメントという行為とリーダーシップという行為は、確かに異なります。しかし、リーダーとマネージャーの違いとなると、明確にすることは困難になります。どちらにも「マネジメント」は求められますし、「リーダーシップ」も発揮する必要があるからです。そのことについて、パウエル氏は、次のように述べています。
 私が欲しいと思うのは優れた管理者か優れたリーダーかと聞かれることがある。そういう分け方は時代遅れだと私は思う。優れた管理者は優れたリーダーだし、優れたリーダーは優れた管理者である。ただ、偉大なリーダーは、管理者にはないなにかがある。優れた管理者は、チームの設計能力を100%引きだす。偉大なリーダーはその先をめざす。誰もが不可能だと思った110%、120%、150%を引きだすのだ。偉大なリーダーは部下のやる気を引きだすだけでなく、奮い立たせもする。そのようなリーダーのもとでは部下は高ぶり、血が騒ぐのだ。

 「優れたリーダーは優れた管理者である」と明言されています。私もこのことには同感です。そして「優れたリーダー」も「優れた管理者」もある程度は教育によって育成できると思います。
 パウエル氏は、別格の存在として「偉大なリーダー」の存在を取り上げています。明らかにパウエル氏自身が、「偉大なリーダー」でしょう。
 「偉大なリーダーのもとでは部下は高ぶり、血が騒ぐのだ」
 そのような人材の出現を誰もが期待しています。偉大なリーダーは、その資質を持った人を発掘して、育成し、そして「見る人が見ている」必要があります。
 あなたの職場には、偉大なリーダーへと成長する可能性のある人はいますか?成績評価だけでは現せない、「この人なら」を発掘し、そして機会を与えられれば、その組織は劇的に変化するかもしれません。偉大なリーダーによって。

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