人材育成コラム

“人財”育成のツボ

2013/11/14  (連載 第54回)

変な人間になる

ITスキル研究フォーラム 人財育成コンサルタント / PSマネジメントコンサルティング 代表

安藤 良治

 日本テレビ「news every.」のレギュラーとしても活躍する諏訪中央病院名誉院長の鎌田實氏は、自らを「変な人」と称します。
 長野県にある約4億円の赤字を抱えたオンボロ病院に就職した鎌田さん。長野県と言えば最近では、都道府県別平均寿命で男女とも1位(2013年2月発表)と健康長寿として注目を浴びています。しかし1960年代は、決して長寿の県ではなく、脳卒中の死亡率が1位と「不健康で早死に」の県でした。中でも、諏訪中央病院がある茅野市は、長野で最も脳卒中の人が多い市だったそうです。
 「不健康で早死に」の県にある「赤字経営のオンボロ病院」で鎌田さんは何をしたか。自身の著書「○に近い△を生きる 『正論』や『正解』にだまされるな」に当時の取り組みについて、次のように書いています。
 脳卒中の死亡率が高い地域ならば、多くの医師は何億もする機械を買って脳卒中の治癒率を改善する努力をする。それが「正解」だ。
 しかしぼく達はあえて「別解」を求めた。脳卒中になった人を上手に治療するのではなく、脳卒中にならないようにするほうがいいと思ったのだ。
 どの分野で働いていても、この「別解力」が大事。普通の人と同じことをしていては勝負にならない。
 ましてや、健康づくり運動に成功して脳卒中が減れば、病院の収入が減るのである。資本主義社会の中で病院の「正解」は、脳卒中で倒れた人を一例一例丁寧に高度医療で治していく。これがオーソドックスな「正解」である。
 でもぼくらはあえて「別解」にこだわった。なぜなら、自分がこの地域の住民なら、倒れた後にどんなにすごい高度医療で救命してくれたとしても、倒れないようにしてくれたほうがいいからだ。なぜなら、脳卒中は多くの場合で障がいが残るからだ。救命されたとしても障がいが残ってはつらい。
 相手の身になって考えたのである。「別解力」を磨くためには相手の身になることが大事。相手の身になっていると、古ぼけた「正解」ではなく役に立つ「別解」が見つかってくる。
 鎌田氏は、仕事が終わってからボランティアで、1年で80回も「脳卒中で倒れないために」という講演をして歩いたそうです。地域の人との信頼関係が大事と考え、地域に溶け込む活動を展開しました。
 その信頼関係がもとで病院も黒字経営に転換します。そして、39歳という若さで諏訪中央病院の院長に就任し、55歳までの16年間、すべての年度で黒字経営だったとのこと。更に、その間職員達に「黒字にしよう」と号令をかけたことは一度もない。あったかな医療をやろうと言い続けたとのことですから、正に住民(顧客)を中心に置いた経営を展開されました。

 この話を読む中で脳裏に浮かんできたのは、ドラッカーの「マネジメント」の一文です。
「顧客はどこにいるか、何を買うか」
 1930年代の大恐慌のころ、修理工からスタートしてキャデラック事業部の経営を任されるにいたったドイツ生まれのニコラス・ドレイシュタットは、 「われわれの競争相手はダイヤモンドやミンクのコートだ。顧客が購入するのは、輸送手段ではなくステータスだ」と言った。この答えが破産寸前のキャデラックを救った。わずか二、三年のうちに、あの大恐慌時にもかかわらず、キャデラックは成長事業へと変身した。
 「顧客は誰、その人は何を望んでいるの?」
 事業の柱となるこの問いに見事に答えを出した、キャデラックのニコラス・ドレイシュタット。競争相手を競合するフォードなどの自動車会社としていたならば、価格競争や疲弊するほどのコスト削減努力による負のスパイラルに陥っていたことでしょう。
 「ステータスを求める顧客に対して、ダイヤモンドを買うよりも、ミンクのコートを買うよりもキャデラックが欲しい。と思ってもらえるようなキャデラックを作ろう」と働きかけたことで従業員は自信を持ち、他にはない良いものを提供しようと奮起した結果、潰れかけていた事業を再起させることができました。

 鎌田さんのアプローチも基本的にはキャデラックの戦略に等しいように思えます。「職員に一度も黒字にしようと声を掛けたことは無い。あったかな医療をやろうと言い続けた」ことも『健康を望んでいる住民との信頼関係構築』のためには必須のことだったのではないでしょうか。
 経営の理屈では、ある種簡単に理解できることですが、赤字経営をしている病院で黒字のための号令を出さず、儲かりもしない「健康づくり」の講演をボランティアで展開しつづけることには、周りの反対と抵抗もあったのではないでしょうか。信念と相当な努力が必要です。
 このことについて、鎌田さんは言っています。
 「別解力」は新しい考え方を実践すること。
 実践をするために考えることである。
 いい仕事をするためには出る杭にならないといけない。
 出る杭になる以上は、覚悟を決めること。
 必ず打たれる。打たれるが、負けないこと。
 打たれ強い、出る杭になると、周りがいつか、納得をしだす。
 仕事がしやすくなる時が必ずやってくる。
 この一文には、苦難を乗り越えてこられた深みを感じます。
 「言い続け、し続けることで、夢はかなう」
 ピグマリオンの伝説を信じ、実践する強い意志を感じます。
 一方で、折れそうな時に言い聞かせている一文もありました。
 絶望的なことはよくある。その時、絶望にならないで、「絶望的」で終わらせるためには希望が大事。絶望と絶望的は根本的に違う。絶望はつらい。絶望的だとか絶望っぽいっていうのは、たいしたことがないんだ。試練と考えていい。時々あっていいんだ。絶望になりそうでも、自分でこれは試練だって自分をだましてしまえばいいんだ。いつもなんとかなると、いいかげん主義で生きてきた。
 絶望と絶望的は違う、という言葉に説得力を感じます。

 新しい時代を築く人に共通するのは、それまでの常識や習慣にとらわれず、鎌田さん流にいえば、「○に近い△」や「別解」を導き出すことができていることでしょう。学校で習ってきた「正解」をひたすら信じ、環境適応できない人、上司や先輩の考える「正解」をいつも聞きながら、自分では考えない人には新しい時代を作ることはできません。
 過去の習慣に基づいた「正解」が議論される中で、「別解」を唱える人は時には「変人」扱いをされるかもしれません。でも、そんな変人が「新しい時代」を築いてきたのも事実です。
 日本にももっと変人が多くなってきても良いように感ずるのは、私だけでしょうか?


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