人材育成コラム

“人財”育成のツボ

2015/06/17  (連載 第73回)

「郷に入っては郷に従う」の前に、その「郷」を問う

ITスキル研究フォーラム 人財育成コンサルタント / PSマネジメントコンサルティング 代表

安藤 良治

 「郷に入っては郷に従う」という諺があるように、日本人は新しい土地や組織に属した際に、その郷の持つしきたりや常識を学び、順応しようと努力する傾向が強いように思います。
 特に初めて社会人となり新しい組織に加入した新入社員の順応ぶりは、新入社員研修に携われた経験がある方なら、その素直さに感心したことでしょう。もちろん学生気分が抜けない時にピシャリと釘を刺し、社会人として企業人としての振る舞いを指導する講師陣があってなせることではありますが、全体としては適応力が高いと私は考えます。

 新入社員研修の最中は、毎朝元気に挨拶をして、朝礼やスピーチ訓練をして、その研修のクラス独特の文化・習慣の中で日々を過ごします。ここにクラスという一つの郷ができ上がっています。
 「郷」とは、奈良時代、律令制における地方行政の最下位の単位として、郡の下に設置した単位のことを言います。人の集まる小さな単位として「郷」があり、その集団ごとに一つの文化や習慣が形成されていました。
 企業で言えば、企業全体ではなく、職場(グループあるいはチーム)が一つの郷として捉えることができます。従って、新入社員研修では一つのクラスが郷ということができます。新入社員研修を通じて同期社員の結束が図られ、熱心な指導者の下、彼等は社会人としての常識を身に着けていきます。

 さて、読者の皆さんの企業でもそろそろ新入社員研修が終了したあるいはもうすぐ終了する時期を迎えているのではないでしょうか。研修を終えていよいよ職場に配属される時期、新入社員はまた新たな郷に移ることになります。
 職場という新しい郷は、どんな文化・習慣を持っているのか、担当する仕事はやりがいのあるものか、期待と不安が入り混じっての気持ちで新入社員は職場に配属されます。
 配属されて数カ月が経つと良く耳にする幹部からの声に出会います。
「今年の新人は大人しいのか?エレベータに乗っても挨拶する社員がいないようだが」幹部のこの一言は、採用を担当した人事担当者、新入社員教育を担当した教育担当者とも愕然とします。愕然としているところへもって、追い打ちをかけるように人事部門の責任者から「新人に挨拶をするように職場に働きかけろ!」との指示が飛んでくることがあります。
 人事担当者も教育担当者も思っています。「新入社員で挨拶も出来ないような人はいない!」と、厳しい採用基準をクリアして入社し、数カ月にわたりあるべき姿を学んだ新入社員なのですから。
 では、何故挨拶も出来ない新入社員になってしまったのでしょう。
 「郷に入っては郷に従ってしまった」ということになります。

 どの企業も新入社員が配属されてくると担当の指導員を任命されていることでしょう。所属長が指導員というケース、2年目社員が指導員というケースもあるかもしれません。様々な立場の人が指導員として任命されていますが、研修とは異なり、自分の担当業務を持ってなおかつ新入社員の指導を行うことになります。「忙しさの中で新入社員と向き合う時間が取れない」「自分は顧客先常駐なので週1回しか新入社員と会えない」等の指導のための環境がうまく整えられない職場もあるようです。いずれにしても新入社員は、この指導員から、新しい郷について学ぶのです。
 配属された当初は、何もかも初めてですから言われたとおりにするしかありません。そして言葉や文書で学べないことは、指導員や先輩の行動を真似することから始めます。そうです。新入社員教育であれだけ元気に挨拶していた新入社員も新しい郷に入り、その郷が挨拶しない職場であったなら、すぐそれに倣うものなのです。
 そのことを見越して教育担当者は、「職場にいるのは皆先輩なのだから、新入社員からまず挨拶しよう、そして職場全体を明るくする役割を担って欲しい」と伝えている例も聞きます。当初は、その教えに従い実践していた社員もやがて自分の属している郷の文化を継承することになるのが道理というものです。

 「郷」そのものの改革に着手する必要があります。
 キーワードは、「人が育つ文化作り」であり、その実践のために昨年来より本コラムで展開してきた「OJL(On the Job Learning)の定着と実践」こそが職場という「郷」の改革につながります。
 いつも思い出すドラッカー博士の言葉があります。
  仕事の生産性をあげるうえで必要とされるものと、人が生き生きと働くうえで必要とされるものは違う。したがって、仕事の論理と労働力の力学の双方に従ってマネジメントしなければならない。働く者が満足しても、仕事が生 産的に行われなければ失敗である。逆に仕事が生産的に行われても、人が生き生きと働けなければ失敗である
 築くべき職場の「郷」は、ドラッカー博士の言う「仕事の生産性」と「働く者の満足」を両立させることが求められています。絶えず変化する市場のもとで、この二つの命題を両立させるためには、職場自体も常に環境に適応できるよう変化することが求められます。それを実現するためには、その「郷」の住人が学び成長していく文化、つまり「人が育つ文化」をつくる以外に方法がありません。そのためのOJLであり、そのOJLを推進するOJLF(OJLファシリテータ)の存在が今後益々重要になってくると思います。

 いよいよ次号では、そのOJLFの育成プログラムについてご紹介したいと思います。

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