人材育成コラム
“人財”育成のツボ
2015/08/21 (連載 第75回)
友からの意見に学び、勇気をもらう
ITスキル研究フォーラム 人財育成コンサルタント / PSマネジメントコンサルティング 代表
安藤 良治
毎月のようにコラムに関する感想や意見を送ってくれる友人がいます。先月のコラムに関しては、次のような意見を寄せてくれました。私としてはかなりショッキングな意見でした。原文のまま掲載します。
安藤さん
iSRF通信125号拝読。
「人が育つ文化をつくる」というテーマについてちょっと考えてみました。
このテーマについては、恐らく表立って反対する人は居ないでしょう。賛同を求めたら限りなく100%近い支持が得られることでしょう。
その意味では「戦争反対」とか「世界平和」に近いスローガンじゃないかと思います。この2つのスローガンも右は極右政党支持者から左は極左政党支持者まで、全員が賛成をするのではないでしょうか。
でも何故か絶対に実現しない、実現した試しが無く、誰も本気で実現に向けて動こうとしないという点で同じような気がしてなりません。
まず営利企業は教育機関ではないので人を育てる事が「目的」ではありません。「利益」を主とした企業目的を果たすための「手段」として「人を育てる」ことに賛成しているわけです。
そして同じ企業組織の中で「人を育てる」ことを第一義のミッションにしている部門も人もありません。人財開発部門や人事部門はそれらの仕組みつくりをしたり評価する仕組みを作るのであって、実際に人を育てるのは「現場」ですからね。「現場」は人が育った方がいいに越したことはないですが、第一義のミッションは営業成果だったり業務効率だったりするわけです。
経営者も株主に対する約束を守るのが第一義であって、人を育てるのは第一義の使命ではありません。かくして企業における「人を育てる」試みは、市中における「戦争反対」や「世界平和」のデモと同じ様相を呈しているのではないでしょうか。
iSRF通信125号拝読。
「人が育つ文化をつくる」というテーマについてちょっと考えてみました。
このテーマについては、恐らく表立って反対する人は居ないでしょう。賛同を求めたら限りなく100%近い支持が得られることでしょう。
その意味では「戦争反対」とか「世界平和」に近いスローガンじゃないかと思います。この2つのスローガンも右は極右政党支持者から左は極左政党支持者まで、全員が賛成をするのではないでしょうか。
でも何故か絶対に実現しない、実現した試しが無く、誰も本気で実現に向けて動こうとしないという点で同じような気がしてなりません。
まず営利企業は教育機関ではないので人を育てる事が「目的」ではありません。「利益」を主とした企業目的を果たすための「手段」として「人を育てる」ことに賛成しているわけです。
そして同じ企業組織の中で「人を育てる」ことを第一義のミッションにしている部門も人もありません。人財開発部門や人事部門はそれらの仕組みつくりをしたり評価する仕組みを作るのであって、実際に人を育てるのは「現場」ですからね。「現場」は人が育った方がいいに越したことはないですが、第一義のミッションは営業成果だったり業務効率だったりするわけです。
経営者も株主に対する約束を守るのが第一義であって、人を育てるのは第一義の使命ではありません。かくして企業における「人を育てる」試みは、市中における「戦争反対」や「世界平和」のデモと同じ様相を呈しているのではないでしょうか。
この友人の意見に対し、私から以下の返信をしました。
いつもご意見をありがとう。
「誰も反対できないけど、実現することのないテーマ」そうですね。
今回は、力み過ぎだったようです。
あまりきれいごとばかり主張していると人が離れていってしまいますね。
ドラッカーの以下の文がずっと頭にあります。
「仕事と労働(働くこと)とは根本的に違う。仕事をするのは人であって、
仕事は常に人が働くことによって行われることはまちがいない。
しかし、仕事の生産性をあげるうえで必要とされているものと、
人が生き生きと働くうえで必要とされるものは違う。
したがって、仕事の論理と労働の力学の双方に従ってマネジメントしなけれ
ばならない。
働く者が満足しても、仕事が生産的に行われなければ失敗である。
逆に仕事が生産的に行われても、人が生き生きと働けなければ失敗である。」
私は、「戦争反対」とか、「世界平和」をプロパガンダするのが、目的ではなく、「人が生き生きと働ける組織を作りたい」と願っている人たちに少しでもその実現のためのお手伝いをしたい、と願っている。ただそれだけなんですけどね。
でも率直な意見ありがとうございました。ごもっともだと痛切に思いました。
これからもアドバイスお願いします。
と、返信したものの彼からの意見以外にコラムに対する意見を寄せてくれた人はおらず、友人の意見が読者を代表した意見なんだろうなぁ、と落胆していたのは事実です。「誰も反対できないけど、実現することのないテーマ」そうですね。
今回は、力み過ぎだったようです。
あまりきれいごとばかり主張していると人が離れていってしまいますね。
ドラッカーの以下の文がずっと頭にあります。
「仕事と労働(働くこと)とは根本的に違う。仕事をするのは人であって、
仕事は常に人が働くことによって行われることはまちがいない。
しかし、仕事の生産性をあげるうえで必要とされているものと、
人が生き生きと働くうえで必要とされるものは違う。
したがって、仕事の論理と労働の力学の双方に従ってマネジメントしなけれ
ばならない。
働く者が満足しても、仕事が生産的に行われなければ失敗である。
逆に仕事が生産的に行われても、人が生き生きと働けなければ失敗である。」
私は、「戦争反対」とか、「世界平和」をプロパガンダするのが、目的ではなく、「人が生き生きと働ける組織を作りたい」と願っている人たちに少しでもその実現のためのお手伝いをしたい、と願っている。ただそれだけなんですけどね。
でも率直な意見ありがとうございました。ごもっともだと痛切に思いました。
これからもアドバイスお願いします。
ところが、数日して彼からまたメールが来ました。
安藤さん
昨日だったか、NHKで2月に放送した番組の再放送で、立花隆氏が半世紀ぶりにカナダの友人に出会い広島原爆資料館を案内するという番組を観ました。
20代の血気盛んな立花氏が反核運動に没頭して渡米し、そこで知り合った同志のカナダ人思想家と交友を深め、帰国後も手紙のやりとりをしていたものの、彼が「戦争を無くして平和な世界を築くには、国家を無くすべき」との思想のもとに「世界政府樹立」の思想を説いた際、立花氏は日本の反核運動に失望していたこともあり、彼に「夢想家」のレッテルを貼った手紙を送ってしまう。
その後、彼からの返信は無く、半世紀が経過した。
広島で再開した立花氏は、彼からカナダが米国の核武装を排除して現在は核を保有していないことを知らされ、その背景には、彼が学生運動のリーダーとなって世論を逆転させカナダ政府を動かしたという事実を聞く。皮肉に満ちた手紙を送ってしまったことを詫びる立花氏に対して、彼は「いや、君だけに返事をしなかった訳ではなく、わたしは運動に忙しかっただけだ」と慰める。
この番組を観ていて、ふと自分の姿を重ねあわせました。
人材育成を唱え、唱えるだけではなくコンサルタントとして現場で活動を続けている安藤さんを揶揄し、シニカルなメールを発信するだけで人材育成活動に没頭することもしていない自分の姿をです。
私はもうすぐ定年になります。この先、何をして行こうか、まだ決めていませんが、安藤さんのように理想を持ってエネルギッシュに活動できるようになりたいと漠然と思っているところです。
このメールをもらって勇気が湧いてきました。昨日だったか、NHKで2月に放送した番組の再放送で、立花隆氏が半世紀ぶりにカナダの友人に出会い広島原爆資料館を案内するという番組を観ました。
20代の血気盛んな立花氏が反核運動に没頭して渡米し、そこで知り合った同志のカナダ人思想家と交友を深め、帰国後も手紙のやりとりをしていたものの、彼が「戦争を無くして平和な世界を築くには、国家を無くすべき」との思想のもとに「世界政府樹立」の思想を説いた際、立花氏は日本の反核運動に失望していたこともあり、彼に「夢想家」のレッテルを貼った手紙を送ってしまう。
その後、彼からの返信は無く、半世紀が経過した。
広島で再開した立花氏は、彼からカナダが米国の核武装を排除して現在は核を保有していないことを知らされ、その背景には、彼が学生運動のリーダーとなって世論を逆転させカナダ政府を動かしたという事実を聞く。皮肉に満ちた手紙を送ってしまったことを詫びる立花氏に対して、彼は「いや、君だけに返事をしなかった訳ではなく、わたしは運動に忙しかっただけだ」と慰める。
この番組を観ていて、ふと自分の姿を重ねあわせました。
人材育成を唱え、唱えるだけではなくコンサルタントとして現場で活動を続けている安藤さんを揶揄し、シニカルなメールを発信するだけで人材育成活動に没頭することもしていない自分の姿をです。
私はもうすぐ定年になります。この先、何をして行こうか、まだ決めていませんが、安藤さんのように理想を持ってエネルギッシュに活動できるようになりたいと漠然と思っているところです。
「人が育つ文化を作る」
しばらく、「言い続け、し続けて」みることにします。
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