人材育成コラム
“人財”育成のツボ
2017/04/19 (連載 第95回)
「ディシプリン」って日本語で言うと?
ITスキル研究フォーラム 人財育成コンサルタント / PSマネジメントコンサルティング 代表
安藤 良治
OJL(On the Job Learning)を推進する仲間と先日来議論しているのが、「ディシプリンって日本語で言うところ何だろう?」という言葉の定義についてです。もともとOJLのベースの1つでもあるピーター・センゲが唱えた「学習する組織」では、5つのディシプリンが必要だとセンゲは語っています。
昨年11月の本コラム「『個の集まり』から『素晴らしいチーム』になるために」(※クリックで移動)で紹介した「フィールドブック 学習する組織『5つの能力』」(ピーター・センゲ他著、日本経済新聞社刊)の原文は「The Fifth Discipline Fieldbook」となっており、「ディシプリン」を「能力」と訳しています。
また、「5つの構成要素」と訳しているケースもあります。どうも、この5つのディシプリンがどういう意味合いを持つのかがすっきりしないという話になりました。
翌日、検討メンバーの1人から次のようなメールが届きました。
昨日のディシプリンですが、サッカーでは当たり前の用語となっておりました。
基本的な意味は「共通理解」、「約束事」になりますが、もっと意味は深いよ
うです。
以前、オシムさんという日本代表監督がいましたが、その方の語録からよく使 われることになったようです。
以下 number 768号より
規律という日本語にすると規則(ルール)の延長のようなイメージを受けますが、次元が違うようです。
全選手が自分の役割をきちんと理解し、約束事に従ってチームとしてプレーとして強く意識し、または努力することになります。このためには、当然各自の自己管理が求められます。
どの組織も同じだと思いますが、日本人はルールに従うがディシプリンは弱いように感じます。これを乗り越えないと「学習する組織」は実現できません。
「日本人には弱い、ディシプリン」となると、ますますこの言葉の定義が気になります。以前、オシムさんという日本代表監督がいましたが、その方の語録からよく使 われることになったようです。
以下 number 768号より
日本人は、自分たちにディシプリン(規律)があると思い込んでいたし、今も思っているが、私にはそこが大きな疑問だった。たしかに君たちは、礼儀正しいし目上の者の言葉に従順だ。だがそれは、サッカーで求められる戦術的ディシプリンとはまったく別の物だ。状況に応じて瞬時に判断し、的確に動く。それも労をおしむことなく。それが戦術的ディシプリンであり、ビッグクラブとごく平均的なクラブ、トップレベルとそうでない選手との違いを作り出しているのは、戦術的ディシプリンのみと言ってもいい。
規律という日本語にすると規則(ルール)の延長のようなイメージを受けますが、次元が違うようです。
全選手が自分の役割をきちんと理解し、約束事に従ってチームとしてプレーとして強く意識し、または努力することになります。このためには、当然各自の自己管理が求められます。
どの組織も同じだと思いますが、日本人はルールに従うがディシプリンは弱いように感じます。これを乗り越えないと「学習する組織」は実現できません。
ディシプリンの語源は、「フランスの哲学者ミシェル・フーコーが、18世紀に西欧において成立した権力のテクノロジーの本質的要素を指し示すために用いた語。」と日本大百科全書に記載されています。日本語としては、「規律」「規律・訓練」などと翻訳されることが一般的なようです。日本大百科全書より、もう少し引用します。
『監獄の誕生』Surveiller et punir(1975)によれば、ディシプリンとは、従順かつ有用な個人をつくり上げることを目標としつつ、一つ一つの動作や姿勢などといった個人の身体の細部にまで介入しようとする、支配の一般的方式のことである。
ディシプリンのこうしたメカニズムは、イギリスの哲学者ジェレミー・ベンサムによって考案された「パノプティコン」において理想的なやり方で作動するものとされる。「パノプティコン」とは、周囲に円環状の建物、中心には塔を配して、その塔からは周囲の建物の全体をくまなく見わたせるように、そして逆に周囲からは塔の中で監視している者の姿が見えないようにつくられた建築物のことである。すなわちそこでは、「見られずに見る」という監視のシステムが、網羅的な視線を可能にするとともに、権力の機能を自動化して、労力を削減し効果を増大させることに成功しているのである。
このパノプティコンの「見られずに見る」という戦略発想の建造物と、オシムさんが語った「戦術的ディシプリン」がうまく一致します。ディシプリンのこうしたメカニズムは、イギリスの哲学者ジェレミー・ベンサムによって考案された「パノプティコン」において理想的なやり方で作動するものとされる。「パノプティコン」とは、周囲に円環状の建物、中心には塔を配して、その塔からは周囲の建物の全体をくまなく見わたせるように、そして逆に周囲からは塔の中で監視している者の姿が見えないようにつくられた建築物のことである。すなわちそこでは、「見られずに見る」という監視のシステムが、網羅的な視線を可能にするとともに、権力の機能を自動化して、労力を削減し効果を増大させることに成功しているのである。
つまり、全体の戦況を見て、戦略に基づいた行動ができるよう、相手には見られないよう、労を惜しまずに走り、次の戦術の展開のためのポジショニングをすること、これがオシムさんの言う「戦術的ディシプリン」ということになります。
日本大百科全書の解説からすると、ディシプリンそのものに「戦略や戦術的」な要素も含まれているようです。
さて、話を戻して私たちが目指すOJLの推進は、センゲが学習する組織で語った「素晴らしい組織」を実現することが目的です。昨年11月の本コラムでも引用したセンゲの言葉を再掲します。
ほとんどの人は人生のどこかの時点で「素晴らしいチーム」の一員だった経験があるだろう。
それはスポーツだったり、舞台芸術だったり、仕事であるかもしれない。いずれにかかわらず、そのときに味わった信頼関係や人間関係、互いに対する受容性、相乗効果、また自分たちが達成した結果をたぶん覚えているだろう。
しかし、そのチームは最初から素晴らしいチームだったわけではない、という点は忘れがちである。
通常、チームは「個の集まり」から始まる。
その「集まり」が「チーム」になっていくには、全体として機能していく知恵を身につける時間が必要だ。
言い換えれば、素晴らしいチームというのは「学習する組織」である。
つまり、自分たちが本当に望んでいるものに、一歩一歩近づいていく能力を自分たちの力で高めていける集団が「学習する組織」なのである。
この学習する組織を実現するために、センゲは5つのディシプリンが必要だ、と言っています。すなわち、「システム思考」「自己マスタリー」「メンタルモデルの克服」「共有ビジョン」そして「チーム学習」の5つです。それはスポーツだったり、舞台芸術だったり、仕事であるかもしれない。いずれにかかわらず、そのときに味わった信頼関係や人間関係、互いに対する受容性、相乗効果、また自分たちが達成した結果をたぶん覚えているだろう。
しかし、そのチームは最初から素晴らしいチームだったわけではない、という点は忘れがちである。
通常、チームは「個の集まり」から始まる。
その「集まり」が「チーム」になっていくには、全体として機能していく知恵を身につける時間が必要だ。
言い換えれば、素晴らしいチームというのは「学習する組織」である。
つまり、自分たちが本当に望んでいるものに、一歩一歩近づいていく能力を自分たちの力で高めていける集団が「学習する組織」なのである。
「個の集まり」からスタートする組織、その組織が「学習する組織」として機能するために、一人ひとりがその構成員としてのふさわしいマインドをもって、必要な思考・スキルを身につけ、組織としての共有ビジョンを全員がコミットメントして、チームで学び、相互研鑽の上成長する、そのようなディシプリンを身につけることが必要だと思います。
こう考えると、これまで日本に定着していたOJTという考え方は、静的で形を覚えること中心であり、環境の変化に動的に対応するのが難しくなっているのではないかと感じます。
動的な対応、そのための「ディシプリン」を定義することが今、求められているのではないでしょうか。
