人材育成コラム

“人財”育成のツボ

2016/05/19  (連載 第84回)

困難な状況に直面したときに「じたばた」しますか?

ITスキル研究フォーラム 人財育成コンサルタント / PSマネジメントコンサルティング 代表

安藤 良治

 困難な状況に直面した際、慌てていろいろ動き回る人がいます。「じたばた」している様子を見て、周囲の人は、「何をしているのかな?」と関心を示します。
 そもそも「じたばたする」とは、苦境を逃れようとしてやたらと動くことであり、その行動を戒める表現です。同じように、「急いては事を仕損じる」という言い方もあります。これは、物事は焦ってすればするほど、冷静沈着にできなくなるものだから、焦っている時ほどじっくり落ち着き、考えて対処せよということです。一般的には、困難な状況に直面した際に「慌てて行動することなく、落ち着いて対処せよ」と伝えているようです。

 そのような一般論とは裏腹に、私は「困難な状況に直面した際、『じたばた』してでも解決の糸口を早期に見つけ、周囲の協力を仰ぎ改善策を講じる」ことを基本的な行動パターンとしてきました。自ら「じたばた」するだけでなく、周囲にも「じたばたする」ことを奨励する、ちょっと変わった行動パターンだったかもしれません。この行動パターンを選択するようになったのは、高校生の時に見た映画「ポセイドンアドベンチャー」に強い影響を受けたのがきっかけです。
 「ポセイドンアドベンチャー」は、いわゆるパニック映画の先駆的な話題作でしたのでご覧になった方も多いことでしょう。映画の内容を振り返り紹介します。

 豪華客船「ポセイドン号」は1,400名の乗客を乗せて12月にニューヨークを出港してギリシャを目指して航海に出ました。船が地中海に入ってからやがて大晦日を迎え、その夜に船内ホールで船客のパーティーが開かれました。その時、クレタ島の南西130マイルの沖合で海底地震が起こり、その影響で32メートルの大津波が「ポセイドン号」を襲い、あっと言う間に船は転覆します。
 転覆したポセイドン号の中で船客はどのような行動をとるか、映像は天井が床、床が天井の逆さまのセットの中で人々の心理や行動に焦点を当てながら、物語は展開されていきます。
 最初に分岐点となったのが、主人公のジーン・ハックマン演じるスコット牧師と年長牧師アーサー・オコンネルの二人の異なる判断でした。
 スコット牧師は言います。「神にすがっているだけではダメだ。人は自分で救いを勝ち取る努力をしなければならない」そして、自分たちに降りかかった状況を分析して言います。「私たちがいるこのホールは、船の最上階にあった。転覆した今、ここは海の最も深い位置(底)にいることになる。救援隊からは、最も遠い位置にいるといえる。自分たちの力で助かるためには、海上に近い『船底』まで上がり、救援隊が来るのを待つことが賢明だ」と主張します。
 一方、オコンネル牧師は、「ここに留まり、祈りましょう。神はきっと私たちを助けてくれるでしょう」と言い、お祈りを始めました。多くの船客はオコンネル牧師に賛同し、ホールに留まることを選択します。

 ここで対比されたのが、二人の牧師の新約聖書「マタイによる福音書」の「求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん」の解釈です。
 スコット牧師は、「門を叩かなければ開かれないのだから、私達は自分たちの力で門(海上近くの船底)のところまで行く必要がある」と主張します。
 一方、オコンネル牧師は、「『求めよ、さらば与えられん』とは、神に祈りを届けることです。そうすることで神は祈るものに正しい道を授けてくれる、という教えです。だから、ここに留まり、皆さんで祈りましょう」と説きます。
 結局、スコット牧師の判断に賛同したのは、本人を含め10人だけでした。10人が上(船底)を目指して、困難な船内の旅に出た直後に、キッチンボイラーが大爆発して水や油が上の方から鉄砲水のように噴き出しました。そして、ホールに残った人たちの命を容赦なく奪ってしまいました。
 この運命の別れ道のシーンで、私は「門を叩け、さらば開かれん」の言葉に強く共感する思いが生まれました。

 さて、物語は続きます。10人が船底へと向かう中で、幾度もトラブルが発生し、一人、また一人と仲間が死んでいきます。そしてついに刑事マイク・ロゴの奥さんが死に、強気で協力的だったロゴ刑事の口から、牧師への恨み言がでます。それまで、自分の信じる道を突き進んできたスコット牧師は、ここでようやくオコンネル牧師が言っていたことを理解します。「人間というのはどうしようもなく弱く無力だ」ということを。言い換えれば、神の存在を強く意識した場面ともいえます。やがて、目指していた船底の目的地に近づいてきたところで、今度は蒸気が行く手を塞ぎます。ここでスコット牧師は言います。「神よ、これほど犠牲を払ってもまだ満足なさらないのですか。それならば私の命を御取り下さい」、そう言って、立ちはだかる蒸気を抑えるため、牧師は離れたところにあるバルブに飛び掛かりました。バルブを閉めながら、残る6人を目的地に導き、全員が目的地に着いたところでバルブにぶら下がっていた牧師は、力尽きて落下し、命を落とします。
 必死になって、自分の信じた道を歩んでみても、それでも主人公である牧師が命を落とさなければなかったことに、強い憤りと虚しさを感じたことを覚えています。

 牧師の命がけの導きで目的地にたどり着いた6人ですが、その目的地は船底であり、扉があるわけではありません。6人は、途方にくれます。一人が牧師の言葉を思い出し、船底(門)を叩いて、きっといるであろう海上の救援隊に存在を知らせようとします。
 救援隊が、船底から音がするのを聞きつけ、バーナーで船底に穴を開け、6人を救出しました。それまでの映像が、暗い船内、上下逆のセットだったところへ、船底に穴が開いた瞬間、青空が目に飛び込み、その青空の眩しさと助けられた人たちへの喜び、一方で多くの犠牲者が出た虚しさ、とても不思議な心持で映画のエンディングを迎えました。
 私は、スコット牧師の生き様に強く共感し、その後の自分の行動選択のベースになったのだと思います。

 能力のある人ならば、困難な状況を前にしても慌てることなく、冷静な判断の中から正しい意思決定ができることでしょう。それができる人から見れば、困難な状況を前にして「じたばた」している人を見ると、頼りなさを感じるかもしれません。
 私は、困難な状況を前に「大変だ!」と口に出します。周囲にも聞こえるような声を発します。周囲は、さぞかし迷惑だったことでしょう。まさに「じたばた」するさまを周囲に見せていました。そこで、「何が、あった?」と気にしてくれる人が声をかけてくれます。協力者が集まってくれます。先輩達は、自分の経験を持ち出して、「こういう時はこうすればいいよ!」などと教えてくれます。ある時は、「こっちで預かって、関係者に連絡するよ」と、有り難い申し出もありました。

 若い時に多くのミスをしましたが、周囲の人に助けられて、何とか致命傷になることなく、リカバリができ自分の中で経験を積むことができました。目標の達成度も高い方だったと自負しています。
 やがて、自分が指導者になったとき、若い人にも言いました。「困難な状況を迎えたとき、声を出して言ってね。『じたばた』する位でいいから」と。私にとっても、担当者がミスをしたり、困難な状況を迎えたときに、早くその事態を共有できれば、早ければ早いほど、リカバリがしやすいですし、関係者への負の影響も少なくて済みます。
 そんな経験から「じたばた」することを行動パターンとしてきました。
 還暦を迎えた今、「悠然と構える」人になりたいと思いながら、つい先日もある出来事が発生し、「じたばた」してしまいました。染みついた自分の行動パターンは、もう変えられないのかもしれません。

 あなたは、困難な状況を前にしたときに「じたばた」しますか?

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