人材育成コラム

リレーコラム

2022/03/22 (第144回)

古代精神のもっとも高貴な倫理的産物。『自省録』!

ITスキル研究フォーラム 理事
株式会社アイテック 顧問

福嶋 義弘

 フジテレビの月9ドラマ、大人気コミックを映像化した「ミステリと言う勿れ」が現在放映されている。そのドラマの第5話のストーリーで重要なカギを握るのが『自省録』である。『自省録』は今から2000年近く前、古代ギリシアの第16代ローマ皇帝のマルクス・アウレーリウス・アントニヌスが政務を行う日々の悩みや自らの行動を省みる言葉などを書き留めた、12巻の備忘録である。原題は「Ta eis heauton」で、意味は「自分自身へ」である。この書は原題にあるように公文書ではなく、あくまでも個人的に日々書き留めたメモ書き、覚書である。書物としては、論理の飛躍や前提条件を省略するなどの特徴が見られ、内容も一貫性や連続性はない。しかし、後世の思想家たちが「古代精神のもっとも高貴な倫理的産物」と称賛し、欧米の著名な政治家たちもこぞって座右の書に挙げる古典書である。

 マルクス・アウレーリウス・アントニヌスは、皇帝に近い名門貴族に生まれ、15代皇帝より指名され39歳の若さで皇帝になった。彼はパックス・ロマーナと呼ばれる古代ローマがもっとも繁栄を謳歌した100年の、最後の時代を統治した哲人君主でありながら、ストア派の哲学者でもあった。「自省論」はストア派の哲学をもとに、「人生いかに生きるべきか」「困難に直面したときどう向き合えばいいのか」といった、現代でも通じる人生訓となる内容である。

 ストア派の哲学とは、自分の内面について分析し、己を律することで運命をいかに克服していくかを説く哲学である。ストアとは、古代ローマの宮殿にあった柱が並んだ廊下のことを指し、哲学者がよくそこに集まって議論をしていたので、ストア派という名前がついたようである。雑学であるが、ストイックという言葉は、ストア派から派生した言葉のようである。さまざまな欲求に左右されず、自分で定めた基準を厳守して行動するという意味のことである。

 マルクス・アウレーリウス・アントニヌスが生きた時代は、洪水や地震などの災害、ペストなどの疫病の蔓延、絶えざる異民族たちの侵略など、ローマ帝国の繁栄にかげりが見え始めた時代。ローマ軍最高司令官として戦場から戦場へ走り回った彼は、闘いの間隙を縫うようにして、野営のテントの中で蝋燭に火を灯しながら、自身の内面に問いかけるようにして『自省録』を綴ったともいわれている。机上の空論でなく、厳しい現実との格闘、困難との対決のただ中から生まれた言葉だからこその説得力がある。

 皇帝時代の彼は、同胞からの裏切りに悩まされた。にもかかわらず彼が貫いた信条は「寛容」だった。「私たちは協力するために生まれついたのであって邪魔し合うことは自然に反する」と説いた。どんな裏切りにあってもひとたび許しを乞われれば寛容に受け容れた。これは多様な民族を抱えるローマ帝国を統治する知恵でもあったが、何よりも自分が学んだストア哲学の「すべての人間は普遍的理性(ロゴス)を分けもつ限りみな等しい同胞である」というコスモポリタニズム(世界市民主義)がベースにあったようである。

 また、「肉体に関するすべては流れであり、霊魂に関するすべては夢であり煙である」と語っている、人間の条件を「絶えざる変化」だと洞察する。そして自らに起こることを自分の権限内のものと権限外のものに峻別。自分の権限外にある困難な出来事や変化は与えられた運命として愛せと説いている。哲学者を目指した彼であるが、自分の生い立ちで皇帝になったのも権限外に与えられた運命と悟ったのであろう。

 ニューノーマルの時代、気がつけば身も心も疲れ、自分自身を見失いがちな現代だからこそ、読み返されるべき本であり、厳しい日々の現実を生き抜く勇気を与えてくれる本だと思う。難解でとっつきにくい『自省録』をさまざまな視点で読み解き、「真の幸福とは何か」「困難とどう向き合うのか」「死とは何か」といった普遍的なテーマを考えるとともに、人生をより豊かに生きる方法を学ぶことができる。

 3月末というタイミングに、マルクス・アウレーリウス・アントニヌス『自省録』を取り上げようとしたのは理由がある。4月は、新入学、新入社、異動など、新生活が始まるタイミングである。自分自身にも経験があるが、いきなり人間関係や仕事の壁など、さまざまな悩みに直面し、苦しんでしまう人が世の中にたくさんいるのではないか、そんな状況を受け止め、どう乗り越えていけばよいのか、そのためのヒントを探っていただけたらと思った。

参考書籍:『自省録』
マルクス・アウレーリウス (著) / 神谷 美恵子 (訳) / 岩波書店 / 231ページ


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