人材育成コラム

リレーコラム

2022/09/20 (第150回)

続・STEAM教育

株式会社教育エンジニアリング研究所 代表取締役
一般社団法人IT人材育成協会 理事

木村 利明

 一枚の写真があります。
 スティーブ・ジョブズがiPadのプレゼンテーションをしている写真です。場所はサンフランシスコ。2011年3月とありますから亡くなる前年ですね。
 背景に交通標識のようなものが大きく写っています。
一つの標識が『TECHNOLOGY(←600)』で、もう一つはそれとほぼ直角に交わる形で『LIBERAL ARTS(←1500)』となっています。
 実はYouTubeもありますので、ご興味のある方はこちらをご覧ください。
 https://www.youtube.com/watch?v=KlI1MR-qNt8
 そこでジョブズは、独創的な新製品を開発できるのは「つねにテクノロジーとリベラル・アーツの交差する場所にいるように努めているからだ」と語っています。

 日本は「ものづくり」で世界第二位の経済大国になりましたが、1990年代初めに失速し、そこから長い低迷期に入っています。「失われた30年」ですね。
 未だに抜け出す糸口も見つかっていませんから、このままではどんどん凋落を続けるだけの国になるでしょう。
 今年(令和4年)5月に経済産業省から発表された「未来人材ビジョン」でそうしたデータも示されていますから、危機感を募らせた方々も多いのではないでしょうか。
 テクノロジー(単なる技術)だけの「ものづくり」ではもう通用しない時代なのに、そこに本気で対応していないことが、きっと日本の低迷の根本原因なのです。

 前回の繰り返しですが、STEAM教育とは、Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Mathematics(数学)を統合的に学習するSTEM教育に、さらにArts(リベラル・アーツ)を統合したものです。
 STEMだけでは収束思考になりがちで、それにArts(人文科学や芸術を含めたリベラル・アーツ)を加えることで拡散思考が加わり創造的な発想が生まれる、としています。
 2013年のオバマ大統領の演説が元になって全世界にSTEAM教育が拡がり始めましたが、スティーブ・ジョブズの発言がそもそもの契機になっているのかもしれません。

 日本では、STEAM教育は(導入するべきであるという掛け声だけはありますが)ほとんど普及・浸透していません。
 その「方法論」がない、「教育プログラム」もない、そして、なによりも「教える先生」がいない、という声が圧倒的です。
 これも繰り返しになりますが、「総合的に教える」というのが難しいのですね。
 あらゆるところで「分業化」「専門化」が進み過ぎて、教育の世界も「それしか教えられない」先生ばかりになっています。
 それでも実現する方策はあるのです! と前回断言しましたので、今回はそれについて書かなければなりません。反発が予想されますので、大変ですけど(笑)。
 結論はシンプルです。
 その方策は、教育を『教えない教育』に転換すること。
 ある意味180度の大転換ですので、DXならぬEX(Education Transformation)に相当するかもしれません。

 そもそもSTEAM教育は「統合的に学習する」とあって、どこにも「教える」とは書いてありません。
 学習するのは学習者です。教育はもともと「学習者主体」なのです。ここからの発想の転換が必要になります。

 では、先生(教育側)は何をすれば良いのでしょう?
 以下のことを念頭に置きながら(=ストンと「腹落ち」した上で)、学習者と「一緒に学ぶ」、or学習者の「学びに伴走する」のです。「ファシリテーション」です。

 科学(Science):科学とはそもそも「学問」の総称。自然科学もあれば人文科学もある。科学(学問)の基本は「物事の本質を追求する」こと。
 技術(Technology):技術とは「科学を応用し、人間生活に役立てるわざ」(岩波国語辞典)。「人が喜ぶものを作る」そういう志向を持つ技術者を育てる。
 工学(Engineering):工学は「作り方(方法論)の学問」。その分野のその時点での優れた方法論を駆使すること(ITの世界であれば「アジャイル開発」)。
 数学(Mathematics):「学校時代の数学を勉強し直す」ことではもちろんなく、数学への苦手意識を払拭し、「数学を道具として使う能力」を向上させる。

 アメリカが最初にSTEM教育を打ち出したのは、そもそも国民全体にそうしたリテラシー(基礎的な知識技術)が不足していたからなのです。
 PISA(国際的な生徒の学習到達度調査)の「科学的リテラシー」「数学的リテラシー」、日本はまだ世界の上位にいます(・・・「読解力」の低さは問題ですけれども)。
 日本にとって重要なのはやはり「リベラル・アーツ」(Liberal Arts)です。

 前回、「リベラル・アーツ」は古代ギリシャ・ローマ時代まで遡る「一人前の人間に必要な“教養学課”の意味」と書きました。・・・が、“教養”というと大学の教養課程のイメージが強いですので、視点を変えてみようと思います。
『自由に遊ぶためのワザ(技・業・伎)』、言葉の本来の意味はこれでしょうね。
 スクール(学校)の語源「スコレschol?」は「閑暇」(自由時間)ですし、人類は「ホモ・ルーデンス」(遊戯が人間活動の本質byホイジンガ)なのですから。

 ・・・「学ぶことは面白い!」と心底思っている先生が担当すれば、今の日本でもSTEAM教育は楽々実現できると思います。



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