人材育成コラム

リレーコラム

2022/01/20 (第142回)

プラスチック・ワード

株式会社教育エンジニアリング研究所 代表取締役
一般社団法人IT人材育成協会 理事

木村 利明

 ウヴェ・ペルクゼンという人がいます。ドイツの作家です。
 彼はヨーロッパの国々で「学習力」や「教育力」が落ちていることを感じていました。
 言語学者でもある彼がその理由を考えているうちに、それは「言葉の力」が失われているからである、と気づきました。そしてその大きな原因の一つは「妙な言葉」が世界中にはびこっているせいである……と。
 その妙な言葉群を『プラスチック・ワード』と名づけ、同名の書籍を世に送り出しました。1988年のことです。
 日本でも今世紀になって翻訳されています(藤原書店2007年刊行)。

 『意味としては曖昧なのにいかにも新しい内容を伝えているかのような乱用言語』
 これが、プラスチック・ワードの定義です。
 例として以下のような言葉が挙げられていました。
 アイデンティティ マネジメント コミュニケーション インフォメーション エコ
 グローバル化 トレンド コンタクト イニシアチブ ソリューションなど。

 これらの言葉は自分も普通に使っていますので、最初読んでも、実はあまりピンときませんでした。
 でも、次の補足説明で、う~んと唸らされました。
 「合成樹脂のようにできた言葉だから、一応の成型はいくらでもできるが、体温も生活も感情もない」
 まだ、あります。
 「さまざまな意味の輪郭を描くようでいて、そうはならない。プラスチック・ワードには内部の多様性がない。どんな部分も他の部分と同じものになっていて、ただその組み立てを変えているだけだからだ」
 さらに、こう続きます。
 「プラスチック・ワードには『アウラ』がないのである」

 アウラとは「オーラ」のことです。本来、言葉にもそれ自体が発するオーラ(雰囲気やエネルギー)があります。だからこそ、言葉で人を動かすことができたり、自己の内部では認知や感知力、そして連想が働いたりします。
 プラスチック・ワードにはオーラがない。そう思いながら例に挙げられた言葉を眺め直してみると、なるほどその通りだな……と納得しました。

 日本人は外国語をカタカナ化して使っているだけという場合も多いので、オーラどころか意味さえ表面的にしか把握していないことがあるかもしれません。
 現に、研修で「マネジメントと管理の違いは分かりますか?」という発問を投げかけても、明確な答えが返ってくることは、まずありません。
 日本企業で「目標管理(MBO)」がうまくいかない大元の理由がここにあるのですが、本コラムの文脈からはずれますので、これはここまでにします。

 ペルクゼンはプラスチック・ワードに共通する特徴を10点挙げています。
 「広い応用範囲をもつ」「多様な使用法がある」「多くは科学用語や技術用語に起源をもつ」「国際性を発揮する」「その言葉を使うと威信が増す」そして「同意語を排除する」「歴史から切り離されている」「内容より機能を担う」「文脈から独立している」最後に「話し手にはその言葉を定義する力がない」。
 グローバル化などという言葉は、まさにプラスチック・ワードの典型といえますね。

 彼はまた、プラスチック・ワードが「言語文化の縮退や思考力の低下」を招くと警鐘を鳴らしています。逆に、「言語文化の縮退や思考力の低下」が次々にプラスチック・ワードを生み出しているといえるかもしれません。

 さて、DX(デジタルトランスフォーメーション)。
 昨今では(言い方はワルいですが)猫も杓子もDXです。
 国も「デジタル庁」を新設して本腰を入れようとしています。
 でも、流行だからといってDXという言葉をただ使いまわしているだけでは、明らかにプラスチック・ワードそのものですね。
 そうでなくするためには、上記の特徴、特にその最後「話し手にはその言葉を定義する力がない」を覆すしかありません。自らの力で定義する、ということです。
 ……DXとは何か? なぜDXなのか? DXの本質は?
 こうしたことをしっかり考え、まず自分のものにする。そこからスタートですね。
 そもそもTransformは「(ガラッと)一変させる」という意味です。
 現状の延長線上であれこれ考えているのでは、もうそれだけでDXではありません。
 何(What)を「トランスフォーメーション」します? どう(How)一変させます?

 物質世界のプラスチックも、成型し易いのでこの半世紀で大量生産され、いたるところで使われています。
 そして、とうとう現代では「プラスチックごみ」として問題化していますよね。
 その何が一番問題かといいますと「土に還らない」ことです。要するに「自然を汚染している」わけです。

 プラスチック・ワードも「同意語を排除」「歴史から乖離」することによって、人間の言葉や思考の「自然さ」「柔軟さ」を妨げている(汚染している)といえます。
 使う側は、ひょっとすると「(言葉の)ごみ」かも知れない、と思うくらいの慎重さが必要かもしれません。
 頭の中が「ごみだらけ」になってしまっては思考もままならない……はずですから。


この記事へのご意見・ご感想や、筆者へのメッセージをお寄せください(こちら ⇒ 送信フォーム