人材育成コラム
リレーコラム
2011/07/20 (第15回)
大切なことは、目に見えない
ITスキル研究フォーラム 理事
フロネシス経営研究所 主宰/富士ゼロックス総合教育研究所 アドバイザリーフェロー
出馬 幹也
大きくて安定していそうな会社、誰もがうらやむような立派な学歴、街の景観 の中でひときわ威容をはなつ大邸宅・・・。これらを求めることを”出世”と称 し、世の多くの人々がいつのまにかそれに価値観ごと染められていた。
しかし、それらのすべてが、多くの人々にとって何の意味もないことを今回の ことを経て、私たちは知ったのである。いや、すでに気づいていたのかもしれな い。改めてその意味することを悟った、というのが正しい表現かもしれない。
上記に例えたものは、それだけではまったく意味がないのである。よしんばそ れらが手のうちにあったとしよう。どこからどうとらえても、今の自分にふさわ しい、過不足のない形でそれらを手にしていたとしよう。それは非難・排斥され ることではない。ここで私が取り上げたいのは、「それでどうするのか?」とい うことである。
手の内にあるものをもとに、自分はどうしていくのか、ということだ。それを 活かして、世のために何かを創り上げていくことも、それがやりたくてもできな い人々にとってみれば、適材適所での貢献であるに違いない。その貢献をきっか けに何かが急速に進展を見せることもあるかもしれない。
重要なのは、手にしているもの、そのものではなく、それを用いて自分がどう するのか、ということに他ならないのである。何をどう見て、考え、行動するの か、という人としての基本的なあり方こそが重要なのである、ということだ。
これまで目に見えることばかり、手にできることばかりに気をとられ、それを どう自分が活かすのか、という命題から目を背けていた人々がいかに多いか、を 私たちは多くの情報から目にしている。むしろ、何ももっていないように見える 人々こそが迅速に何かできることのために動き続けているようにも思える。
一歩踏み出せる勇気。それこそが他を動かし、世に貢献をもたらすリーダーシ ップの源である。それだけをとらえれば、目に見ることはできない。しかし、 「あの人は素晴らしいな」「あの人のようになりたいな」と思わせるほどに、先 を見た、”無私”の行動は人びとの心を打つ。まるで、それが目にみえることか のように、実感を伴うのだ。
間違っても、誰彼ともなく怒鳴りちらし、●●主導という名のもとに、様々な 混乱と遅滞を生み出し、それを省み、修正することのない、”無私”の真逆を示 すリーダーを選んでしまうような愚を、次代に残してはならない。
世に貢献をもたらすリーダーシップ。それは目に見えない。でも、確実に人び との心に響く。その重要さを私たちは今、あらためてかみしめ、それこそ、民族 をあげて学び、次の世代に良き国を残していかなければならない。
(※この記事は2011年5月23日に「iSRF通信」で配信された記事を元にWeb掲載用に編集したものです)
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