人材育成コラム

リレーコラム

2023/12/20 (第165回)

プロンプト

株式会社教育エンジニアリング研究所 代表取締役
一般社団法人IT人材育成協会 理事

木村 利明

 『指示(プロンプト)の習熟、言語化の能力、対話力等が重要となる:人のコミュニケーション手段が言語である限り、生成AI から効果的に生成物を得るための指示(プロンプト)の習熟、言語化の能力、対話力(日本語力含む)などが重要となる』
 これは、「生成AI時代のDX推進に必要な人材・スキルの考え方」(令和5年8月7日 デジタル時代の人材政策に関する検討会)に書かれていた内容です。
 生成AIを使いこなせるかどうかは使う人間側の力量(能力、器)次第ですので、言語化の能力や対話力等が重要となるというのは、その通りだと思います。

 ただ、プロンプトは「指示」ではありません。
 新聞などマスコミでも生成AIに関する記事やニュースが多くなりましたが、やはりそこでも「指示」という言葉が使われています。
 違和感だけで済ましても良いのですが、ひょっとすると、これは日本の「ITエンジニアの劣化」や教育の根本にも関わる問題かもしれないと思い、今回のテーマにしました。
 『プロンプトpromptとは「促す(もの)」という意味の英単語 : IT分野ではシステムの操作時に入力や処理を促す文字列などをこう呼ぶ』(IT用語辞典)英和辞典でpromptの意味を調べても「迅速な、機敏な、てきぱきした、即座の」、「刺激する、鼓舞する、促して~させる」です。
 全然「指示」ではありません。まったく違いますよね。

 何が問題かということを、まずWebシステムの実例で説明してみます。
 娘(長女)家族がアメリカ(オクラホマ)に住んでいますので、ときどきJP国際郵便で荷物を送ります。
そのマイページを使って「送り状」を作成するのですが、実はいつもぶつくさ文句を言いながら入力しています。このシステムを開発したエンジニアたちの「ユーザビリティ」の無さが(元SEとして)とても恥ずかしく、腹立たしいのです。
 品名は英語で入力しなければなりません。まあそれは仕方ない(?)にしても、とにかく入力がしづらい。そして、画面の切り替え時には常に不安が残ります。
 極めつけは原産国名の入力。クリックするとA(AFGHANISTAN)から始まって国名がずらずらっと並びます。そこをA・B・C・D・・・・H・I・JまでスクロールしてようやくJapanが出てきます。これを1品目ごとに繰り返すのです。
 もう馴れたのでそんなことはないのですが、最初は内心キレました「おまえら、何をやらせるんじゃ!!!」(笑)。
 日本からの荷物ですから「原産国」はほとんどJapanのはず。いまどきのエンジニアは「デフォルト」も知らないのか…と唖然、暗澹としました。
 プロンプトを「指示」だと思っているからこれで平気なのでしょう。
「促す」(なるべく迅速に)と考えれば、当たり前にJapanをデフォルト(既定)値として置くはず。これはIT知識以前の問題ですよね。
 コロナ禍で話題になった「ワクチン予約難民」事件もそうですが、日本のシステムはともかく使いづらい(利用者に不親切)。ITのことしか知らないエンジニアが上から目線でユーザーに「指示」しているようではダメなのも当然かもしれません。

 教育の世界では(「質問」ではなく)「発問」を重要視します。
優れた教育者は「発問」を主体に学習者に対応しますし、文科省も学校の先生方に以下のように「発問」を推奨しています『学年や場面によっては「質問」によって確認することが必要な場合もあるが、そればかりだと学習意欲を低下させる。子ども達の学習に変化をもたらし緊張を誘うためにも、子ども達の思考や認識に疑念を呈したり混乱を引き起こすことによってより確かな見方へと導くためにも「発問」が重要になる』。

 ところが、テキストをテキスト通り教えているだけの先生は、生徒に「質問」はできても「発問」ができません。
 日本の生徒の「学習意欲の低下」ぶりは、公表されたさまざまな調査結果で明らかになっています。
 ■学習意欲がわかない子どもの割合が6割を超えた(令和5年5月5日中日新聞)
 ■不登校児29万9千人・前年度2割増(令和5年10月4日中日新聞)

 「質問」は簡単なのです。テキストに書いてある内容を答えるよう「指示」するだけですからね。「大化の改新は何年ですか?」「…645年です」「はい、よくできました」。
 「発問」は(先生にとっても生徒にとっても)難しい。発問例「大化の改新の前と後で日本はどう変わりましたか?」答え「………」。
 そう簡単には答えられないでしょうし、答えは一つではありません。でも、こうした「発問」が生徒の頭脳を活性化(「鼓舞」)し、自ら考えることを「促す」のです。
 初めは戸惑うかもしれませんが、学校で「発問」が当たり前となれば生徒もそれに応えようと準備するでしょう(つまり学習するようになります)。
 たとえピントのズレた答えでも、それを否定することなく当意即妙な反応を先生がすれば(それがファシリテーションです)授業は(ひいては学校が)楽しくなりますよね。
 こういうことが生身の先生でできないようであれば、早めに生成AIにその場を譲った方が、間違いなく生徒のためになります。
 生成AIは対話型ですから、お互いに発問(すなわちプロンプト)して答えを「促す」。その相互作用で学びを深めていくことができるわけです。
 繰り返しますが、promptは「指示する」ではなく「促す」です。

 Educationが本来「引き出す」ことを意味するのに、「教え育む」という、上から目線の言葉に翻訳してしまったことが間違いの始まりだったかもしれません。
 その「教育」が明治維新以来150年続いてしまいましたが、もう限界にきています。「指示(教え込む)」から「促進(学ばせる)」へ、180度転換しなければなりません。

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