人材育成コラム

リレーコラム

2025/5/20 (第182回)

「ちょうどいい負荷」を生むデータの活用

ITスキル研究フォーラム 理事/株式会社日立アカデミー

宮浦 智範

 アウトドアスポーツに最適な季節となりました。高校時代から約30年、ロードレースに魅せられてきた筆者が、インドアサイクリングサービスが生み出す「没入感」の要因について、教育サービスと絡めて考察してみます。最後までお付き合いいただけますと幸いです。

 自転車競技の主戦場は公道ですが、悪天候時などは屋内でもトレーニングを行います。単調で苦痛だった屋内練習を一変させたのが、2015年に登場したインドアサイクリングサービス「Zwift」です。これにより、数万人のサイクリストとバーチャル空間でつながり、数時間の走行もあっという間に感じられるようになりました。
 登場から10年弱で、インドアサイクリングサービスは単なるフィットネスアプリを超え、没入感とソーシャル性を備えた「プラットフォーム」へと進化しました。高い満足度と継続性は、強固なコミュニティと優れたアプリによるものですが、本稿では、その基本的な機能に焦点を当てます。

"強さ"の数値化

 走行中に目にする背景は、実写ではなくカートゥーン調のアニメーションです。グラフィックのリアリティは必ずしも高くありません。それにもかかわらず強い「リアル感」が得られるのは、2013年頃から自転車界で一般化した「パワーデータ」の存在が大きいといえるでしょう。
 パワーデータは、ペダリングの力強さと回転数から算出される出力(ワット)であり、スピードや心拍数といった指標とは異なり、外的要因に左右されにくいという特性を持っています。これにより、運動強度、消費カロリー、疲労度といった、様々な情報を定量的に把握できるようになりました。中でも重要なのが、「FTP(Functional Threshold Power)」という、RPGでいう「レベル」や「戦闘力」に相当する、ユーザーの「強さ」を端的に示す数値です。
 室内で自転車を漕ぐと、ユーザーのパワーデータに応じて画面上のアバターがリアルタイムに動き、まさに「自分が走っている」という没入感が得られます。パワーデータに基づいているため、現実世界で勝てない相手には仮想空間でも勝てない、という「リアルな競争」が再現されるのです。

適度な競争と達成感を生み出す仕掛け

 このサービスでは、24時間いつでもバーチャルなグループライドやレースに参加でき、世界中のユーザーとリアルタイムで競えます。そこでカギとなるのが、参加者のパワーデータによる「カテゴリー分け」機能です。自分と実力がかけ離れた相手とのマッチングを防ぐことで、誰もが適切なレベルで競争し、達成感を得られるように工夫されています。
 さらに、個々のレベルや目的に応じた多種多様なトレーニングメニューも用意されています。これらのメニューもすべてパワーデータに基づいているため、「感覚任せ」ではなく、明確な数値目標を設定して効率的にトレーニングに励むことができます。こうした機能により、ユーザーのモチベーションを維持し、継続的に利用してもらうための仕組みが精緻に作り込まれています。

 ―――――「仲間とともに高めあう」「自分のペースで取り組める」「成長を実感できる」といったインドアサイクリングサービスの特徴は、教育サービスが目指す方向そのものです。“教える”から“自律的に学ぶ”体験へと進化していく中で、このようなサービスの成功モデルから学ぶことは多いと考えています。

業務パフォーマンスの可視化

 教育や人材育成の現場では、個人のタスク遂行能力や知識を測るための様々な仕組みが存在します。しかしながら、現状の評価方法が、必ずしもそれらを正確に反映しているとは限らないと指摘する企業の担当者は少なくありません。
 このような課題を克服する上で示唆を与えてくれるのが、大学入学者選抜において導入が検討された主体性評価ツール「JAPAN e-Portfolio」です。本格運用には至りませんでしたが、個人の活動記録や成果物を蓄積し、多角的に評価しようとするその仕組みは、従来の知識偏重型の評価とは一線を画したものでした。そして今、生成AIの急速な普及が、この構想に新たな可能性をもたらしています。ソースコードやSNSへの投稿といった具体的なアウトプットをAIが解析し、eポートフォリオを生成するサービスが登場しています。
 自身の業務記録、学習記録、そして実際に生み出したアウトプットといった「行動の証」を蓄積し、それらを基に業務パフォーマンスを定量的に評価する仕組みが、ようやく整いつつあります。このような評価の変化は、自身の現状を客観的に把握し、次に目指すべき課題を明確にすることで、より効率的かつ主体的な学びへとつなげることができます。

協働学習を成功に導く「ちょうどいい負荷」

 PBL(Project Based Learning)、ソーシャルラーニングといった多様な形態の効果を最大限に引き出すためには、学習者の適切なグルーピングが不可欠です。適切なグループ分けによって、「ついていけない」「一方的に頼られる」といった事象を回避し、すべての学習者が無理なく成長できる「ちょうどいい負荷」を構築することが成功のカギを握ります。しかし、運営側の主観に頼ったグルーピングでは、ミスマッチが生じがちです。そこで求められるのが、学習者のレベルを客観的なデータに基づいて最適化し、さらに学習活動に応じて柔軟にグループを再編する仕組みです。(実現への道のりは決して平坦ではありませんが…)
 また、協働学習の前提となる個人の知識学習においては、一人ひとりの学力や特性に合わせて複数の進度や教材パターンを用意する「ラーニング・パス」の実装が注目されています。しかし現状では、あらかじめ用意された研修コースを単に「並べる」にとどまっています。
 これからのラーニング・パスは、学習者がeラーニング、動画、Webコンテンツ、書籍など、多様な学習リソースの中から必要な箇所を「つまみ食い」するような、よりパーソナライズされた学習スタイルに対応していく必要があります。このような学習体験は、Google NotebookLMのように、専門家が利用する様々な学習ソースを取り込み、必要な情報をプロンプトや音声で引き出すことができる技術の登場により、現実的なものとなりつつあります。

 リスキリングの重要性が叫ばれる今だからこそ、忘れてはならないことがあります。それは、一方的な「学ぶべき」という押し付けが、個人の成長を阻害するということです。本当に大切なのは、仲間との協働を通じて課題に向き合い、自らの意志で取り組むプロセス。引き続き、主体的な学びを支える環境作りに、真摯に取り組んで参りたいと思います。


この記事へのご意見・ご感想や、筆者へのメッセージをお寄せください(こちら ⇒ 送信フォーム