人材育成コラム
リレーコラム
2012/07/13 (第29回)
声明と闇夜に浮かぶ蔵王権現
ITスキル研究フォーラム 理事
NECソフト 技術統括部 統括マネージャー 兼)人事総務部 エグゼクティブエキスパート
福嶋 義弘
権現とは仮の姿で現れるという意味で、釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩の三尊 が変化身して現れたと言われている。恐ろしい姿の蔵王権現であるが、衆生のた めに現れた慈悲をたたえたやさしい方だそうだ。ただ、やさしい姿で現れると、 悪世の人々は畏れ敬うこともなく、かえって邪見を重ねてしまうので、恐ろしい 姿を示したといわれている。その形相、彩色は過去に拝観したことのない姿で、 大変驚いた。
その三体の本尊はそれぞれ、お釈迦様は過去、観音様は現在、弥勒様は未来を 現している。つまり、「過去」「現代」「過去」三世にわたり衆生を救うことを 現しているのである。それぞれの由来は、お釈迦様は二千五百年前のインドで悟 りをひらかれ仏になったため過去を現す。観音様は、観音とは音を観るというこ とで、いまの衆生の音(思い、願い、心)を観て、求めに応じ変化身になりし、 救済するため現在を現す。弥勒様は、お釈迦様の没後五十六億七千万年とはるか 未来に仏様になるといわれているため未来を現す。
蔵王権現は、秘仏で本来は公開されていない。平成30年より開始される国宝 仁王門大修理勧進のため平成24年より10年間、一定期間開帳されているので ある(今年は3月31日~6月7日、10月1日~12月9日の二回)。また、 開帳に合わせ吉野の旅館組合が宿泊者対象に夜間拝観を実施している。
20時より参拝者が蔵王堂に入り扉を閉ざし法要、法話を受ける。山伏・修験 道の本尊なので法要は法螺貝で始まり、法螺貝で終わる。「声明と闇夜に浮かぶ 蔵王権現」なんとも幻想的、そして7メートル以上の権現像は存在感があった。 雑踏を離れ蔵王堂の厳粛な雰囲気の中で声明を聴き、気が引き締まるとともに、 良いリフレッシュとなった。翌日6時からの読経にも参加した。権現様も大修理 勧進のための資金集めに使われるとは思ってみなかったであろう。
最後に金峯山寺元山主の遺訓法話より
「忘れて、捨てて、離れて、恕して、悦べ」
- 「忘れて」とは、とにかく嫌なことは忘れることである。日本人の好きな花に桜がある。華やかな桜であるが、人気の一つに散り際のいさぎよさがある。日本人の心情にあっている花なのである。「水に流す」なども日本社会独特なものである。
- 「捨てる」とは、過度の執着心は持たないことである。欲望はどこまで行ってもきりのないものだ。ある程度の欲は必要、良い加減で切りをつけなければいけない。
- 「離れて」とは、文字通り離れて物事を見るということである。「山に入りては山を見ず」山の中に入ってしまうと山の姿が見えず、方角が判らず進路を迷うことになる。夢中になって闇雲に前進するばかりが能ではない。時には立ち止まり周囲を見る余裕が欲しい。
- 「恕して」の恕は、ゆるすと読む。相手をゆるす、思いやる、いつくしむ、あわれむなどの意味がある。思いやってゆるすということは、人間だけがなし得る崇高な精神活動である。
- 「悦べ」の悦は、よろこびと読む。心のわだかまりを取り去ること、よろこぶ、楽しむなどの意がある。
嫌なことや恨み憎しみは忘れ、捨て、離れ、恕して心のわだかまりを洗い流し、 さっぱりとした心境でいたいものである。
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