人材育成コラム

リレーコラム

2013/03/18 (第37回)

歴史に学ぶことの大切さ

ITスキル研究フォーラム 理事
日立ソリューションズ 人事総務統括本部 人財開発部 部長

石川 拓夫

 司馬遼の「峠」を読んだ。河井継之介が主人公である。悲劇的な結末もあり思うところは多々あるが、今日は飛翔前の若き継之介の学びから感じたことを書きたい。

 若き継之介は、遊学して幕末の様々な人物と会う。黒船来航が日本に大変大きな変化をもたらした後、志ある日本の武士たちは、とにかく何かを学び、変化を自分なりに考え、自分が歴史の中で何をなすべきかを考えた。この時代にそれを行うためには、師を見つけ、師から学ぶことが必要とされた。もっとシンプルに言うと、とにかく人に会い、その人の考えを聞き、触発されることが学ぶと言うことであった。もちろん、尊王攘夷のような「べき論」から一歩も動かない頑迷な人たちもたくさんいたが、多くの人たちから学ぶ姿勢を持った人たちもいた。継之介はその姿勢であった。

 確かに師は江戸に多くいた。しかし、つくづく感心したのは、当時の知識人は江戸だけではなく、地方の到る所に居たことである。徳川200数十年の封建体制が、このような世界史でも珍しい知的熟成を行ったと言える。だからブランドや栄達を考えずに本当に学ぼうとすれば、師と呼べる人は日本中に居たのである。継之介はこれらの地方の知識人達を訪ね歩き、自らを磨いている。

 「学ぶ」ことがなんと能動的で機動的なことだろう。もちろん当時もきちんとした学問所に学び、学問をおさめ、国(藩)に帰り、学問で藩の要職に就くという立身を考える徒は多かった。太平の世ならば、このキャリアパスは有効だったことだろう。でも黒船が来てしまった。

 この時点で、まだこのキャリアパスが続く、すなわち幕藩体制が続くことを前提に考えている徒と、そうでは無くなる可能性があるので、未来予測をして歴史の中に自分の役割を見つけようとする徒と二手に分かれたと思う。継之介は後者になるが、200年以上も続いた太平の世を考えれば、後者は少数だったことだろうと想像するのは難くない。

 こう書き連ねてくると、なんだか恐ろしいほどに現在の状況に酷似しているのではと思う。昨日が明日も続くと思いたい人と、当然変化すると思う人と、現在も二手に分かれるのではないだろうか。どちらが正しいのか、いやどちらの生き方を選択するのか、歴史に学ぶしかないのではなかろうか。

 歴史から学ぶことは大変に多いとつくづく思う。継之介が自分の価値観に照らし合わせて、認めた人を師と仰いで学んだように、論評や小説、漫画…、それがどんなものであっても、自分の問題意識があれば学べるものだろう。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

 改めて思う。

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