人材育成コラム
リレーコラム
2014/06/18 (第52回)
教養の大切さ
ITスキル研究フォーラム 理事
日立ソリューションズ CSR統括本部 本部長(ブランド・コミュニケーション担当)
石川 拓夫
- 技術者として活躍するためのコンピテンシーとは?
- 入社時、若手、中堅、上級と続くキャリアの中で、求められるレベルがどう変化するか?
- 成長し活躍する技術者となるには、大学で学生をどのように育てて(鍛えて)おいてほしいのか?
- 採用選考時の企業の評価するポイントは?
いろいろな角度からお話したが、「今社会で求められている人財」に関して概して言うと、
『「与えられた目の前にある課題を処理する能力ではなく、新たな価値を生み出す能力を備えた人財」であり、その素地としては多様な価値観に基づく幅広い教養(リベラルアーツ)や人間力が必要だ』
などとお話した。このことは、講演後の懇親会で学部長をはじめ多くの先生方にいたく共感された。しかし、実際には大学教育においては逆を行っている様子である。例えば、人間力養成は大学教育の蚊帳の外である。また、幅広い教養を養うための一般教養課程は衰退の一途だそうだ。具体的には一般教養課程専門の先生を置かずに、専門課程の先生が、教えることができる科目をできる範囲内で片手間でやっているようである。一般教養課程廃止論まであるそうだ。
一方、専門課程の開始年次は早まっている。この逆行する施策に、私の講演は波紋を与えたようである。
振り返って私の学生時代には、一般教養課程専門の先生が(教養学部などに)いた。今でも思い出す講義がいくつかある。
例えば「パックス タターリカ」についての講義。モンゴル帝国が世界史に与えた影響の大きさを教えられ、受験勉強とは全く異なる課題視点を養うことができたことを覚えている。歴史は、政治だけではなく経済や民族・文化交流まで見据えて、全世界的な観点で俯瞰すると、とても面白いことに気付かされた。毎回わくわくしながら珍しく授業に出ていたことを今でも思い出す。
この講義がその後どれだけ役に立ったかを説明することは難しいが、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」ことを自戒する今の自分の一部になっていることは間違いないことだろう。
そんな講義、光景が、片手間の授業で今のキャンパスから失われているとすれば、それは人づくりと言う観点から見て、大変心配になってくる。個人的には、受験勉強で避けられている日本の近代から現代にかけての歴史などは、少なくとも大学だからこそニュートラルな視点で授業を行うべきなのだと思う。それは、日本の針路を危うくしない施策のひとつなのだと思う。
さて、今『池上彰のやさしい教養講座』(日本経済新聞社編)を読んでいる。日経新聞に連載されたものを元に出版されたものである。学生に語りかける設定なので、たいへんわかりやすく、ニュートラルである。平易な文章ではあるが、幅広い知見に裏打ちされた内容なので、今の私にとっても新たに結びついたり、発見したりするものが少なくない。
このような内容のものを、すべての大学で学んだり議論したりして、多くの学生が多角的な検証の上で自分の意見を持てるようになれば、今時代が求める人財づくりの一助になることだろう。
間違っても狭あいな知見に基づく、自分起点の一方的な意見を持つ若者を育ててはいけないと思う。これは新しい価値を生み出すうんぬん以前の問題である。
多様化した変化の激しい、だからこそ真理に近づくために多様な価値観に基づく幅広い教養が求められる時代に、即戦力養成の専門教育に傾注する大学の姿に、日本の大学教育の改革のポイントが見えてくる。
「すぐに役に立つことは、すぐに役に立たなくなる」である。また社会起点やステークホルダー起点からではなく、自分達起点で行われている施策や施策立案のアプローチにも問題がある。
税金が無駄に使われないことを切に願っている。
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